読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

海の星座

光を射す言葉を。

全ては「きみしだい」 -NICO Touches the Walls "マシ・マシ"-

リリースが発表された時、まさかと思った。ラーメン好きはわかるけど、とうとうそれをシングルに冠してしまったのかと。実際にその音を耳にするまで、彼らの真意を測りかねていた。

11月30日にリリースになったシングルの表題曲である「マシ・マシ」は体を揺らしたくなるファンキーなリズムとサウンドに、Vo.光村の力強い歌声が乗るというシンプルな構成ながら、ゴスペルのようなコーラスと清々しいホーンが迫力を添えて、かなり聴きごたえのある1曲となっている。

 

あとはきみしだいです あとはきみしだい

きっと理想 願いを叶えるも 黙って明日を迎えるも あとはきみしだい

サビで「あとはきみしだいです」と繰り返されるこの曲は、NICO Touches the Walls流の応援歌だ。文字で見れば、投げやりで突き放すようにも聞こえるその言葉も、NICOの手にかかれば、光村の歌声に乗れば、背中を押す一言に変わる。

とあるライヴで光村は、「マシ、ってマイナスな言葉じゃないと思うんです。ちょっとマシってそれが積み重なっていけば、良くなっていくでしょう?そんな『ちょっとマシ』を『増し』ていけたら、と思ってこのタイトルをつけました。」と語った。誰だって他人の言葉に一喜一憂して、自己評価さえも左右される。だがそれも自分の考え方一つで喜にも憂にもなる。自分次第で日々はより「マシ」になっていくし、その先にはきっと、理想を叶える自分がいる。「自分次第だ」なんて当たり前のことを歌っているようだが、実際にそれを意識していようと思っても意外と難しいものだ。自分次第だよ、と言ってくれる第三者が、時に必要になる。

押し付けるのではなく、ただ背中を軽く叩いてくれる存在。NICO Touches the Wallsというバンドが持つそんな距離感からこそできた1曲だ。

 

カップリングに収録されている「MOROHA IROHA」はビッグ・ビートをベースに置いた、「マシ・マシ」よりもさらに踊れる1曲だ。光村の音楽ファンとしての「今こういう音楽が聴きたい」という欲に基づいて作られたこの曲は、メンバーによる『やっていて気持ち良い、何回やっても楽しい』かどうかという物差しの上で完成されていったという。

何かに対する怒りというよりは漠然としたイライラのような、皮肉のような言葉がタイトに収まっている歌詞だが、その言葉のハマり方、さらに語感の気持ちよさは光村節が光っているとしか言いようがない。鈍器で殴るような重さではなく、細い針でピンポイントに深く刺すような鋭さがある。これもまた、「やっていて気持ち良い」にカウントされた部分であっただろう。

そして今や定番となったカバーシリーズだが、今回彼らが選んだのはUAの「太陽手に月は心の両手に」だ。ジャジーで優雅なベルベットを逆撫でするようなざらつきを内包するこの1曲を、NICOは見事に踊れる、ファンキーなロックへと作り変えた。このアレンジにしても、「マシ・マシ」、「MOROHA IROHA」にしても、今回のシングルにはNICOの『自分がどういう音を聴きたいか、リスナーとしてどういう歌を歌われたいのか』という現在の命題に対する答えが詰め込まれているように感じられる。また、それは先にも記した『やっていて気持ち良い、何回やっても楽しい』という物差しにもつながっているはずだ。

 

NICO Touches the Wallsが今回世に送り出したものは、昨今の高速四つ打ちブームには逆行する形になる。しかし、四つ打ちはやらない、という暗黙のルールをかつて持っていた彼らにとって、そんな時代の流れに抵抗することは決して難しいことではない。それよりも、「こんなのもあるよ」とリスナーに提示し続けていくその姿勢は、ロックバンドとしてのある種の正しい姿のようにも思われる。

こんなのもあるよ、とNICO Touches the Wallsの差し出すものを受け取ってみるのか、騒げないからと撥ね付けるのか、「あとはきみしだい」だ。

四重の共鳴 -16/11/25 ユビキタス LIVE TOUR 2016『カルテット』@京都MUSE-

昨夜の京都MUSEはさながら感情の坩堝と言ったところだったか。ユビキタスは毎ツアー、毎会場、実に面白い取り合わせでブッキングをする。仲の良いバンド同士なのは言うまでもないが、そのジャンルは多岐にわたり、彼らの交流の広さを思い知ることとなる。昨夜の共演はLOCAL CONNECT、ウルトラタワー、Brand New Vibeの3組。それぞれがホストのユビキタスを食ってしまうような熱量のライヴを見せてくれた。

 

トップバッターは地元・京都のLOCAL CONNECT。前回彼らのライヴを観たのは8月のことだった。その時、どことなく空回りな雰囲気を感じたのだが、今回は見事にそのイメージを払拭し、オーディエンスを丸ごと巻き込んでいた。ISATOの芯の強い、圧倒的な声量と歌唱力、Daikiのクリアで抜けるような歌声という、一見相反するかにも思えるツインボーカルの彼らのコーラスワークは、これまでもオーディエンスを魅了してきた。しかし、この夏から秋にかけて行われたCONNECT YEARと題されたツアー、そして先日終了した東阪でのワンマンライヴを経て、さらにその結びつきを強固なものとし、聴く者の心に直に響かせるような力を放っていた。その声をまーきー、しゅうま、Natsukiの鳴らす音色が彩り、5人の音がそれぞれに色鮮やかな粒となって降った。

結成当時から大事に奏でつづけている「コスモループ」がステージから溢れ出す。今年の春のアルバム「7RAILS」に収録の楽曲からも分かる通り、彼らは今その表現の幅を、創り出す音楽の幅を広げる途上にある。しかし彼らの芯にあるものは変わらない。《生きていたいと願うことが/温もり宿す灯火に/かけがえないその1秒を/誰かのため 自分のため/ありのままで生きていよう》そう歌うISATOの表情は柔らかい。着実に人気バンドへの道を猛進しながらも、背伸びも飾りもしない5人の姿に、すっと胸が軽くなる。大丈夫だ、間違ってないんだと思わせてくれるステージだった。

 

十分にあたためられたフロアを前に、ステージに登場したのは滋賀のウルトラタワー。爽やかなギターロックに、Vo./Gt. 大濱のハスキーボイスが重なる。口数は多くはないが、素朴な印象を受けるバンドだった。今を生きる若者ならではの焦燥感や夢が歌われ、初めてなのに初めてでないような、そっと側に寄り添う優しさを感じた。

これまでウルトラタワーは同郷と知りながらも機会がなく見そびれていた。昨夜のライヴはそんな自分の行動力のなさを後悔するほどに格好よかった。竹内の音の粒のはっきりとしたドラミング、平柿のしっかりと地に足のついたベースライン、流麗でメロディアスな寺内のギター、そして大濱の耳に残る声と素直な唄い方。その四重奏の中に芯の強さを感じさせ、ダンサブルなロックチューンが溢れるメジャーシーンにおいて、得意とするミドルテンポやバラードの楽曲で勝負していく4人の力強さを感じさせた。

 

3番手には東京は町田からBrand New Vibe。エモポップバンドと称される6人組の姿は、音楽スタイルは、例えば、ユビキタスのそれとは大きく異なる。この日の4組の中でもかなり異色だったと言えるだろう。「見た目も音楽も、まるっきり違うけど、それでも共鳴するところがあるから呼んでくれた。何が響き合っているのか、ステージを見て、音を聞いて感じて欲しい。」VOX KEIが語りかける。イベントを組むのに、同じジャンルである必要も、ファン層が同じである必要もない。いつもの仲良しメンバーでばかりブッキングをしたところで、目新しい刺激はないだろう。Brand New Vibeが見せてくれたライヴはまさにそんなことを改めて考えさせてくれた。

6人という人数に対して小さなステージの上で、彼らはどっしりとした力強いサウンドを鳴らす。爆発するかのようにステージから音が溢れ、オーディエンスを飲み込む。KEIの吠えるような叫びと、Nobuの澄んだ歌声が重なり合って鼓膜に、心に刺さる。反発しあいそうなほどの荒々しさと繊細さが同居する不思議なバンドだ。「俺の歌詞はずかずか心に乗り込んでいくけど、ヤスキくんのはちゃんと3回ノックをして、入ってきてくれるでしょ?俺にはそれはできないから、俺が持ってないものをたくさん持ってるから、すごいなあと思うよ。」とKEIはつぶやく。そうか、共鳴って別に、同じ手段を取る必要もないんだよな、と気づく。彼らはお互いにないもの、だからこそ惹かれるものに共鳴しているのだ。

年明けに彼らはZepp DiverCityで2度目のワンマンを行うという。広いステージであればあるほど、彼らは魅力的に輝くに違いない。決してソールドアウトも無茶な話ではないだろう。

 

そしてトリはユビキタス。3バンドがそれぞれのカラーを存分に見せつけ、オーディエンスを焚きつけた後のステージで、彼らはどんな光を我々に見せるのか。

ステージに上がった瞬間から、彼らの目の色が違った。自分たちの主催でありながらもギラギラと好戦的な眼差しをして、何かに挑んでいくような姿勢だった。仲間であり、友人であり、それでいて負けたくない相手としてゲストのバンドを捉えていることの表れだったのだろう。セットリストはもちろん、「孤独な夜とシンフォニー」を中心に構成され、今まで根強く残っていた「ワンダーランド」をもそこから外していた。それは1月にリリースの新譜へ、さらにはその先の飛躍へ確実につなげるという、彼らの意思と現在地を提示しているのだと受け取れた。

昨夜のステージで言えば、さも楽しそうに表情豊かに唄い奏でるVo. ヤスキと、アグレッシブなサウンドで楽曲の持つ強さを見せつけたBa. ニケの姿が非常に対照的だった。その間でストイックかつ丁寧に鳴らすDr. ヒロキを含め、3人はそれぞれバラバラの方向を向いて好きなように鳴らしているかに見えたのだが、音の結束は強く、また彼らの表情も視線もお互いを意識し、リンクしあっていた。ライヴを重ねるごとに、彼ら自身も、その音も表情豊かになり、力強いものとなっていく。それは互いへの信頼感と、鳴らすものへの自信が確かなものへと変わっていることを示しているのではないだろうか。

最後は次の新譜に収録の「カタルシス」を届けた。先日リリースのミニアルバムのものとは、また趣向の違うメロディーとサウンドで構成され、自分と向き合い尽くした結果のまさに【カタルシス】が見られる言葉が並んでいた。まだまだ彼らは開花する。それを確信できる夜だった。

 

共鳴とは、決して同じ方向を見るということではない。同じ考え方をするということですらないだろう。何かいいなと思うこと、どれだけその部分以外が違っていようとも、何かが心に留まるということを言うのだ。

昨夜の4バンドは、確かに共鳴していた。自身にあるもの、もしくはないもの、ほしいもの、考えたこともなかったもの……いろいろあるだろうが、彼らは音楽という同じツールを手にして、お互いの心を惹きつけあっている。そんな姿を目にしたオーディエンスはきっと幸せだ。そして彼らだけでなく、あの場にいたすべての人が、何かしらで共鳴したはずだ。

青春の瞬間性 -BURNOUT SYNDROMES "檸檬"-

−− 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。 −−

檸檬、と聞いて、真っ先に梶井基次郎の短編が思い浮かぶ人は決して多いとは言えないだろうが、フルアルバムのタイトルが檸檬だと聞いた時のこのバンドのファンに限って言えば、かなり多かったのではないか。

 

11月9日にリリースとなったフルアルバム「檸檬」はBURNOUT SYNDROMESの、その心臓である熊谷和海の、短編小説集だ。少年少女が揺らめく心を抱え、飛ぶように過ぎる景色に当惑しながら目一杯に今を生きる物語が切り取られている。その歌詞世界は、ただの歌詞ではない。読むだけで、聴くだけで、その風景が目前に広がる映像的な、言うなれば、文学作品なのだ。

 

『青春文學ロック』を掲げ、颯爽とデビューしてから8ヶ月。デビューシングル「FLY HIGH!!」と2ndシングル「ヒカリアレ」の2曲は、人気アニメ「ハイキュー!!」の2期連続のオープニングテーマに抜擢され、彼らの名はロックファンのみならず、中高生やアニメファンにまで広く知られることとなった。


BURNOUT SYNDROMES 『FLY HIGH!!』TVアニメ「ハイキュー!!セカンドシーズン」第2クールオープニング・テーマ(Short Ver.)


BURNOUT SYNDROMES 『ヒカリアレ』Music Video TVアニメ「ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校」オープニングテーマ

そんな中リリースされた今作は、過去の作品よりもかなり青春色が強い。この作品の中の主人公たちは皆それぞれに若く、青く、そして眩しい。《宜候 風よ 何時までも心騒めかせて/宜候 胸を帆のように張って突き進め/Bottle Ship Boys》(M.02: Bottle Ship Boys)や、《胸一杯に息を吸う/名前を呼ぶ 君が振り返った/どうか笑わないで聞いて/あのね 君が好きだよ》(M.06: ナイトサイクリング)という歌詞など、心がむずがゆくなるほど、聴いているだけで甘酸っぱくて、ほろ苦くて、心の端っこをきゅっと抓られるような痛みすらも覚える。私がとうの昔に葬った青春。置き去りにしてきた過去のわずかな時間。それが、彼らの音によって、熊谷の言葉によって、色鮮やかに眼前に蘇ったような感覚だった。人生のうちの、一瞬で過ぎ去ってしまう青春という尊い時間を真空パックにして閉じ込めたようなアルバム。そこに描かれる青春は決して美化された、爽やかさ100%のものではないから、その只中にいる時よりも、過去から取り出して眺めるような距離感で捉えた時に輝きを増すような魅力を持っている。

そういう空気感は同世代のバンドにはなかなかないものだ。クラシック音楽近代文学を取り入れることによって、彼らは24歳の若さでありながら、爽やかなだけでなく、浪漫めいた、セピア色の音を見せることができる。それは昨今のバンドブームで人気を集めたバンドの中でも特殊であり、また、他のバンドから一線を画す部分でもある。

 

しかし、BURNOUT SYNDROMESはその特異性は変わらずとも、デビューを境に大きく変わったように見える。華々しいデビューとともにその名を知ることとなった中高生はおそらく、これまでの彼らの音楽を知らない子が多かったのではないかと思う。情熱的で爽やかな、青春を存分に謳歌するかに見えるFLY HIGH!!の同線上で彼らが歌ってきた青春の影にある昏さを知った時、そこにどんなギャップを感じるのだろうか、とふと思いを馳せた。そのギャップが負の方向に働かないとも限らないとしたら、BURNOUT SYNDROMESはこの先どんな道を選ぶだろうか、と。

どうか、ブームごときに終わってくれるな、と心の底から願う。それは彼らが単に異質だからではない。The SALOVERS以来の青春文學ロックというジャンルを担う筆頭だからでもない。BURNOUT SYNDROMESは、教室の隅にいる少数派のヒーローになりうる存在だからだ。行事に熱を入れて取り組むような、部活熱心でみんなからちやほやされるような「クラスの中心」ではなく、そのずっと外で、じっと本を読んでいるような生徒たちの心のヒーローになれるようなバンドだからだ。かつてその少数派にいた人も、きっと彼らの音に、言葉に、共鳴するだろう。こんな存在が学生時代にあればよかったと思うだろう。そんな存在であれるのは、現時点ではこのBURNOUT SYNDROMES以外にない。この流行りの中に、埋没させてはならない。

 

その衝動的な眩しい春の時は一瞬で過ぎる。しかし一瞬で過ぎ去ってしまうからこそ尊く、美しい。そんな青春の瞬間性を見事に切り取って閉じ込めたこの「檸檬」というアルバムは、BURNOUT SYNDROMESにとって1つの記念碑的作品となるだろう。そして同時に、今青春の只中で煌めく人にも、かつて青春という時を過ごした人にも、深く強く、響くはずだ。


BURNOUT SYNDROMES 1stアルバム『檸檬』全曲トレーラー

孤独な夜の向こう側 -ユビキタス "孤独な夜とシンフォニー" -

11月2日、ユビキタスの3rd mini album「孤独な夜とシンフォニー」がリリースとなった。

先日のライヴレポート中でもすこし触れたが、今作のタイトルにある「孤独な夜」は決してマイナスなイメージではなく、自分自身と向き合う時間のことを指しているのだという。そして「シンフォニー」は様々な要素によって一つのものが成り立つ、という意味から、周りの評価や見方、周囲の環境という要素、そしてそれによって作られる自分自身を指す。昨年リリースした「記憶の中と三秒の選択」が、自分の周りの人や環境という特定の対象を持った外に向けたものだったのに対して、このアルバムは、黒田保輝という一人の表現者が、自分の内側にある葛藤や、こうありたいという理想と周りからのイメージの間でもがく自身に光を当てて描いたものだと言えるだろう。

 

1曲目から爽やかなギターロックが鼓膜を揺らす。リード曲として、壮大なMVも夏から先行して公開されていたイナズマだ。この詞に関してVo./Gt. ヤスキは「久しぶりに、自然に書けたラブソング」だと語った。何か新しい世界に触れた時のビリビリした感覚、心がギュッとなる感覚を「イナズマ」と名付けてこの曲に冠したと言うが、その「イナズマ」は何も、異性間・同性間の一対一の関係性における恋を指すわけではないのだと思う。例えば私がユビキタスに、本当の意味で出会ったあの日のあの瞬間は確かに「雷に打たれた」ようだったし、そこから今日までの2年半に及ぶこの想いはユビキタスというバンドに対する恋だと言っても過言ではないだろう。人生を揺るがすような、自分の中にある価値観を揺さぶられるような、そんな出会いはそうそうあるものではない。この曲は、何かそういうものに出会った時の、その最初のインパクトを新鮮なまま閉じ込めた1曲だ。

自身の葛藤を赤裸々に綴り、吐き出しているのは感情性理論(M.02)だ。《これも僕じゃないから/もういらないもういらない》という歌い出しにハッと息を飲む。ヤスキが綴る激情的な言葉は、普段の彼が、言葉にすることで思考がまとまっていく様を見せる人間であるからこそ痛烈に響く。しかしそんな彼の葛藤も曲の終盤へ向かいながら、次第に解かれていく。最後のブロックでは歌詞に合わせて歌い方もサウンドも開けたものへと変化している。歌う、というよりは心の内を殴り書きのようにして吐き出していくものに仕上がっているサカナ(M.03)は、自分自身に対する焦燥を描いている点では感情性理論とリンクしているが、その言葉の向かう先は外の視点に対してや、外とつながっている自分ではなく、常に自身の内側だ。エッジの効いたサウンドの中で、イントロのギターリフが乾いた鋭さを見せるが、それ以上にニケの鈍く重いベースラインが光る。決して派手ではないし、前面に出てくるわけでもない。しかし不穏な空気が曲全体に響くのは間違いなくこのベースラインによるものだ。ディスコード(奇跡に触れる2つの約束: M.06/2014)でもそうだったように、ユビキタスのハードチューンにおいて、普段の柔和な彼からは想像もできないほどの攻めに攻めたベースはいいスパイスとなって曲にメリハリをつけている。

そして次の眠れない夜に(M.04)では全てががらりと表情を変える。ヤスキの爪弾く優しいアコースティックギターの音色と、彼のごく近くで歌うような優しい歌声に張り詰めた緊張感がふっ、とゆるむ。ギターのボディをたたく柔らかい音も含め、この曲は彼の一人舞台だ。この1年ほど、弾き語りに精力的に取り組んできた彼の一つの成果だと言えるだろう。前にも述べたが、シンガーとして、ヴォーカリストとして、彼は凄まじい成長を遂げている。バンドをいつも尊重してきた彼がこういった形で1曲収録したというところに彼の自信を垣間見て、これからのバンドの姿に期待を寄せたくなるのだ。

そんな眠れない夜にと対になるのがチャンネル(M.05)だ。一度は誰もが思ったことがあるはずの、綺麗事ではない人間らしさ、哀しさを歌う。ニケの優しくゆるやかなベースラインも、彩るという言葉の似合うヒロキのドラミングも、一定の温度と距離を保ちながらヤスキの声を支え、その透明感のある声と微かにかけられたビブラートがぐっと際立つ。3人のバランスがきれいに保たれるのがユビキタスのスリーピースバンドとしての強みだとするならば、この曲はそれを最大限に引き出して形にしたものだと言える。

《思い出しているよ/楽しかった日々を/過去には行けないの/あの日の景色は日に日に色づく》と過去を歌うことで未来を見るS.O.S(M.06)と、《どの未来も真実だと/僕にとって真実だと/思えたから》と一つのカタルシスを見せるハッピーエンド(M.07)の2曲はこのアルバムにおける終着点とも言えるだろう。どちらも「ユビキタスらしい」ダンスナンバーでありながら、そこに留まることのない歩みが見られる。特にハッピーエンドのきらめくようなタッピングで鳴らされるイントロと、アイリッシュの空気のあるギターソロはこれまでの彼らにはなかった音であり、それでいながら全く違和感なく馴染んでいる。「らしさ」と正面から向き合ったヤスキは、まだ答えを見出すに至っていないとしても、それを飲み込んだ上でのユビキタスというバンドの姿をこちらに見せようとしているように思える。

 

今作「孤独な夜とシンフォニー」は、過去を歌いながら、今を見つめている。今を歌いながら、未来を見据えている。本性を閉じ込めながら、人から見た自分に自分を収めようとし、人から見た自分を感じながら、本当の自分を見せようと躍起になっている。自分と自身を取り巻くものを対比させながら、心の内側を歌う。自分と深く向き合う思考のプロセスを1枚のミニアルバムに仕上げたことで、この作品は彼らにとっての1つのマイルストーンとなったのではないかと思う。

昨年のアルバムを聴いた時、ユビキタスは開花したと思った。それまでよりも明らかに振れ幅を広げ、表現力を増した3人の力は底知れぬものだと感じたのだ。それを裏付けるように、彼らのライヴは輝きを増し、音に込められた意志は伝播していく強さを備えていった。今回の楽曲群は耳に新しい部分も多々あったし、歌詞で見せる精神世界は今までよりも断然に色濃く、深くもあった。しかし、それでも、変わらない芯が通っているのとはまた別に、どこか過去の楽曲を引きずっているようなイメージが拭えなかった。昨年彼らが見せてくれたものも、今の彼らがライヴで見せてくれる光も、決して見間違いなんかじゃないと信じているからこそ、これからの彼らに、さらに期待が募る。

 

今も、いつも、進化の途上。だから格好良いんじゃないか。

三人で魅せる光 -16/11/01 ユビキタス LIVE TOUR 2016 『カルテット』TWO MAN SERIES-

先月めでたく結成4周年を迎えた大阪のユビキタスが、1年ぶりに新譜をリリースするということで、その「カルテット」と銘打ったリリースツアーの前哨戦として、10月27日に東京・渋谷O-Crest、11月1日に大阪・心斎橋Music Club JANUSでのツーマンシリーズを開催した。ここでは、この春メジャーシーンに満を時して躍り出た盟友・ラックライフを迎えた大阪公演での彼らのライヴをレポートする。

 

ユビキタスは地に足のついた、リアリティのあるライヴを見せるという印象があった。そこに鳴る音、響くメロディー、そして紡がれる言葉によって、そこに彼らがいること、それを見るオーディエンスがあることをはっきりと認識させるライヴ、と言えばいいだろうか。これは筆者の意見であるが、きらびやかな夢を見せるのではなく、悩んで立ち止まって迷って、それでも今ここに立っている、君たちに歌っているんだという姿を、隠さずに晒け出してくれる、そんな現実味のあるライヴが彼らの持ち味であり、彼らが人気を集める所以でもあったのではないかと思う。

しかしこの夜、そのイメージは覆された。

 

彼らが1曲目に選んだのは、2nd mini album『奇跡に触れる2つの約束』より、「そ。」。Vo./Gt. ヤスキのはじけるようなカウントでオーディエンスにも一気に火がつく。当時のリリースツアー以来、ほとんどセットリストには組み込まれてこなかったこの曲だが、2年を経て演奏力、表現力共に成長した彼らによって、スターティングナンバーとして返り咲いた。

その後は新譜から「サカナ」「イナズマ」、「チャンネル」といった、これまでのライヴでも披露している楽曲を中心にライヴを展開し、ユビキタスの現在地を示した。その11月2日にリリースとなったミニアルバム『孤独な夜とシンフォニー』は、ヤスキによると「孤独な夜という自分自身と向き合う時間と、自分を作り出す周囲の環境や言葉、評価やイメージといった要素(=シンフォニー)について思いを巡らせた末にできたアルバム」だという。それもあってか、昨年のフルアルバム『記憶の中と三秒の選択』がかなり外側に向かって放たれたものであったのに対して、今作は非常に丁寧に自身の内面と向き合ったような言葉が綴られている。外向きか内向きかということだけで言えば、内向きである今作は「そ。」が収録された『奇跡に触れる2つの約束』と重なる。しかし決定的に違うのは、一度外側に向かって放っているということだ。これまでの作品が、彼ら、あるいはヤスキ個人の一人語りであったのとは異なり、今作では、自分自身に外側から改めて光を当てているのだ。アルバムについてはまた詳しくレヴューを書くので深く掘り下げるのは避けるが、1曲目に「そ。」を選んだのは、あのアルバムの中で、外に向かう力が殊更に強い、今作に通じ得る曲だったからではないだろうか。

演奏中の彼らはといえば、それぞれが個々で集中しながらも互いを意識し合い、さらにその意識はオーディエンスにも常に向けられていた。この音を聞け、この声を聴けと、目で、音で、声で、彼らはこちら側に主張した。それは決して押し付けがましいものではない。そうしたくなる引力を持っていたのだ。「あなたに歌っているんだ」と力強く手を引くように、音を鳴らし、歌を唄っていた。これもまた、以前よりも際立って強くなったところだろう。今までの、「ここで歌っているから、誰か何か引っかかったら、ついてきてよ。」というスタンスは、そこにはなかった。彼らは進化を見せたのだ。外を見た目で自分と向き合ったヤスキは何かを振り切ったような目をして、全てを受け入れるような強さをたぎらせて、自身と向き合った今の言葉を歌いつないだ。そんな彼の言葉を支え、彩りながら、Ba. ニケとDr. ヒロキの音色が重なっていく。プライベートでも仲良しな3人の音は、決して狂うことなく正しく届けられる。口では滅多に褒めないが、お互いを意識するからこそ合う呼吸は、スリーピースバンドとしての真髄に触れる。彼らのその音は、声は、光を伴ってフロアに流れ出した。

自らをさらけ出しながら、飾らず、等身大でステージに立つという彼らの魅力はそのままに、寄り添う優しさを超えた、包み込む大きさで、フロアにいる全員に光を射した。過去と現在を同時に歌いながら、リアリティのある彼らの生の姿を見せながら、その上で音を光に変えて、燦然と降らせたのだ。

 

4th mini album『ジレンマとカタルシス』のリリースも1月に決まり、2枚のアルバムをひっさげた3月までのロングツアーが始まった。ファイナルシリーズに、初の名古屋を含めた東名阪ワンマンも予定されているこのツアーを経て、彼らはますます波に乗っていくことだろう。

ツアー開幕時点ですでに、それまでの姿から圧倒的なまでの成長を遂げている。桜が咲く頃、彼らはどんな光を我々に見せるのだろうか。

 

最後になったが、彼らは今回のツアータイトルを『カルテット』と名付けた。しかしユビキタスはスリーピースバンドだ。4つ目のパートは誰が担うのか。ヒロキのドラムに、ニケのベース、そしてヤスキのギターと声、という4重奏だろうか。はたまた、彼らに手を伸ばすオーディエンスを指すのだろうか。それもきっと、これからのツアーで解き明かされていくだろう。

高く飛び上がった君の目には何が見える? -16/8/28 RUSH BALL 2016: BURNOUT SYNDROMES-

夏の日差しに焦がされながら、ATMCステージの前で待ち構える。

 

3.1415926535......

 

自らの作品である「数學少女」をSEに入場してくるのは、地元関西出身のBURNOUT SYNDROMESだ。

文學ロックという、ある種ニッチな線をついた彼らの音楽はじわじわと人気を集め、この春とうとうメジャーデビューとなった。デビューシングルは人気アニメ「ハイキュー!!」のオープニングテーマでもあり、それまで彼らを知ることもなかった層にまで一気に広がり、爆発的にファンを増やした。

彼らが今年24歳になると聞いて、最近のバンドはだんだん若くなっていくなあと思った人は少なくないはずだ。しかし、BURNOUT SYNDROMESを若僧と侮ってはならない。彼らは今年、結成11周年を迎えるのだ。そう、結成当時彼らはわずか13歳である。結成からデビューまで11年弱。学生であったこともあるが、それを考えても近頃ではそうそうない長い下積み生活を送ってきたことになる。メンバーチェンジや活動休止もなく、彼らのペースで地道に日々と時間を重ねてきた結果、BURNOUT SYNDROMESというバンドは、ちょっとやそっとじゃ揺らぎようもない強固な3人の関係性と、色濃く塗り重ねられてきた楽曲の描く世界とでしっかりと形作られている。

 

ちょっと想像もつかないような長い道のりを3人で一歩ずつ確かめるように進んできた彼らが、ついに掴んだメジャーデビュー。そして、憧れの舞台「RUSH BALL」。彼らは夢のステージで、熱量の高い演奏を見せた。〈文學ロック〉の名をほしいままにする1曲「文學少女」では、その文学作品のタイトルや印象的な一節を混ぜた詞を、Vo.熊谷とBa.石川が掛け合いにして歌う。熊谷の独特の澄んだハスキーヴォイスと、石川の柔らかいテナーが見事にコントラストを描き、観客は一気に彼らの創り出す世界に飲み込まれていく。続く「PIANOTUNE」では明るく軽やかなサビに合わせて、会場を巻き込みながらメンバー3人も楽しそうに体を左右に揺らし、3曲目の「セツナヒコウキ」は夢と恋の狭間で揺れ、夢を選ぶ少年の静かな慟哭を、熊谷がいつにも増して力強く歌い上げた。熊谷のハスキーヴォイスは、歌謡的にしつこくなることもできれば、胸を裂くように切なく響くこともできる。こんな歌声を持つシンガーには今までほとんど出会ったことがない。彼らを唯一無二にするのが、間違いなくこの声だ。

夢のような時間は一瞬にして過ぎてゆく。数ある彼らのプレイリストの中から厳選された4曲。その最後に置かれたのは、彼らにとっての大事な1曲、「FLY HIGH!!」だった。「ハイキュー!!」に合わせたような、夢に向かう飛翔を歌ったこの曲だが、やはりそれ以上にその飛翔はBURNOUT SYNDROMESのものを示す。

−− 飛べFLY HIGH!!

汗と血と涙で光る翼が 君を何処へだって連れて行く

青い衝動と本能と 爪牙を剥き出しにして

艱難の旅路も 夢叶うまで何度だって

飛べFLY 高くFLY −−

青空に向かって声と音が重なり合って突き抜けてゆく。憧れ続けたRUSH BALLのステージの上に立つ3人が見せる笑顔は、晴れやかでありながら、まだ少しあどけなさが残る。しかしあの、満ち足りたような笑顔には何者も勝てまい。ステージを降りる最後の瞬間まで、名残惜しそうに観客に手を振り続けていた。

 

彼らは自分たちにかけられた期待を知っている。そしてまた、彼らが育て、彼らが育ったBURNOUT SYNDROMESというバンドを信じ、自らを信じ、期待をかける。前途洋々とはいかないだろう。雨に打たれることも、足が前に進まない日も、きっとあるだろう。しかし彼らが地道に積み重ねてきたものは、決して今後も彼らを裏切りはしないはずだ。長い長い助走の果てに、勢い良く踏み切った彼らは、そのこれまでの日々を翼に、上昇気流に変えて、大空に舞い上がった。

今、君の目には何が見えている?蹴った地面を眼下にし、君はどこへ向かう?

 

10月26日にリリースが決まっているシングル「ヒカリアレ」、そしてそれに続くワンマンツアーできっと彼らは、この半年に見てきたものを、あの、きらきらとした笑顔で見せてくれるのだろう。

最小単位の武装 -16/8/6 cross road vol.4, 16/9/1 AVERAGE HITTER-

ギター1本での弾き語りはヴォーカリストが「シンガー」として勝負に出る場だと考えている。シンガーとしての力量をさらけ出す場だと。それを得意とするボーカリストも、不得手とするヴォーカリストもいるだろう。そしてそれは、当然ながら、どちらが優れているという問題でもない。

ユビキタスのヴォーカリストであるヤスキは、弾き語りにおいてもとてつもない引力と魅力を発揮する。彼はまさに真性のシンガーだった。

先月の6日、大阪・江坂pine farmというライヴバーでcross roadというイベントを見てきた。このライヴバー、楽屋があるでもなく、同じ空間の中に聴き手と演者が居合わせ、談笑しているような、とてもアットホームなこじんまりとした空間だ。音楽だけでなく、お酒だけでなく、その場にある全てを味わい、楽しむような。

この日、ヤスキの声は絶好調だった。ハリのある声が空気を割り、その場の雰囲気を一変させる。言葉にせずとも「聞いてくれ」と主張する強い声。その力強さはマッシヴなだけではなく、曲に合わせて自由自在にその形を変え、時に刺すように響き、時に柔らかく寄り添うように流れる。ここ2年、弾き語りのステージを繰り返していくうちに、彼はシンガーとして明らかに成長し、ヴォーカリストとしての幅を広げた。それはこの日披露した2曲のカバー、椎名林檎の「ギブス」、中島みゆきの「糸」からも窺い知ることができる。女性目線の歌詞、女性ボーカルの歌でも、彼は自分の声で美しく表現しきってしまうのだ。自身のバンドの曲を歌う時よりもキラキラと目を輝かせ、生き生きと歌い上げる姿は、歌うことがただただ大好きだと言っているようだ。

さらに今月1日にも彼の弾き語りのステージを見た。この日はカバーこそなかったものの、ユビキタスの楽曲から懐かしい1曲を持ってきたり、MVが公開されたばかりの新曲を早速アコースティックアレンジにしてみたりと、5曲の中でかなり自由に構成していた。5曲を通して、歌詞の一言一言を大事に慈しむように、じっくりと聴かせるように歌っていたのが印象的だった。

ギターが大好き、バンドが大好き、と公言している彼だが、あえて私は、彼が生粋のシンガーだと言い切りたい。もちろん彼の良さはギターにもあるし、バンドの中にいても輝いている。だが、ステージにひとりで立つ誠実で清廉なシンガーの姿は、その声は、眩しいほどに鮮烈で、その時の彼が纏う、歌に対する素直さや純粋さに、見る者は当てられてしまう。ギターと自分の声という最小単位の武装でステージに立った時、彼は無敵になるのだ。