海の星座

光を射す言葉を。

ロジカルな言葉を、エモーショナルに鳴らして。 -PRIMAL CURVE "ReleaseMe?"-

理系のバンドは意外といないんじゃないだろうか。
いや、もちろん理系出身のバンドマンはいる。アーティストはいる。ここで言いたいのは、「理系ロックバンド」を看板に掲げるバンドはそうそういないんじゃないかという話だ。

そもそも、これは偏見であるとも言えるが、音楽と理系というのはあまり結びつけて語られることはない。どちらかというと、計算されたものというよりは感覚的なもの、論理的なものというよりは詩的なもの、そんな風に捉えられることがしばしばではないだろうか。文学ロックと称されるものの対称になる存在が語られないように。しかし、いい音楽というのは、案外計算の上に成り立っているものでもある。

 

大阪にPRIMAL CURVEというバンドがいる。彼らこそが「理系ロックバンド」を掲げるバンドだ。前身バンドを経て、2013年に活動を開始。楽曲はもちろん、グッズのデザインに至るまで、理系的な単語やモチーフが散りばめられ、確固たるブランディングは彼らのイメージを決定づけていた。

彼らの音楽は実際に、とても「計算」された作りになっている。叙情的というよりは理知的な、暖色というよりは寒色のような、ストイックでエッジの効いた音楽だ。PRIMAL CURVEとして活動し始めた当初の音源を聴くに、曲はVo./Gt.笠井の声が一番よく通るところに、一番気持ちよく響くところに音やメロディーが合わせられていて、その、ある種完成された音は、まさしく正しい解を求めにいく「理系」のもののようだった。しかし一方で、歌詞に関して言えば、音に対する言葉のはめ方や、言葉の選び方、世界の描き方はどこか頼りなく、リスナーに空想の余地を与えるというよりは、宙に放り出されたような、不安定な言葉が並んでいた。

それが変わり始めたのは昨年リリースとなったミニアルバム、「OALL」だった。
この作品の中で綴られている言葉はパズルのように一つずつ音に当てはめられたものではなく、「届けられるものとしての言葉」へとその立ち位置を変えている。

《一人だけじゃ、きっとあなただけじゃ、/in this world 変わりはしないけど/誰かとなら、きっとあなたとなら、/in this world 踏み出す力を/並べた不満も飛び越えてく 届かない高さで》(OALL: M.01「ベクトル」)

そこにあったのはふわっとした「リスナー」という顔の見えない存在を対象にするものではなく、届けたい相手の顔をしっかりと思い浮かべているような、地に足のついた言葉であり、音楽だった。しかしただ感傷的なのではなく、ただ詩的なのではなく、彼ららしい理系的なワードを置きながら、心に引っかかるフレーズが心地よく響く音楽の形は、これがPRIMAL CURVEだと言い切るだけの力強さを持つ。そんな核を得た彼らの音は加速度的に魅力を増し、今年7月にリリースされた「ReleaseMe?」にもあふれんばかりに落とし込まれている。

彼らの持ち前の計算された音の気持ち良さ、4つの音が重なり合う、音としてのカロリーの高さ、さらには笠井の歌声を支えるコーラスの厚さと綺麗さはそのままに、歌詞がぐっと人を引き付けるように、聴く人の心にちゃんと響かせるように変わった。過去の作品が自分の中にある感情を、自分の中にある語彙を目一杯に使って表現していたのに対し、今作ではより感情に肉薄する言葉を選ぶ余裕と、自分一人で完結してしまわずに、目の前にいる「あなた」に聴かせる余力を持ち合わせている。目に見えたものをただ説明するのではなく、そこに想像の余地を残すような言葉の使い方は、強いて言えば文系的で、作詞者であるGt.平林がもつ力、例えばイメージを言葉にするプロセスだとか、ボキャブラリーの幅であるとか、そういったカテゴリの「文系っぽさ」が以前より強くなったように思う。力を増した言葉の数々に引っ張られるように、笠井の歌も変化している。時に脆そうですらあった優しさのある歌声がしっかりとした芯を持つようになり、淡々と歌い紡いでいた姿が表情豊かになり華やかさを備えたことで、聴く人の心に届いて響くしなやかさと強さを得た。これまでも優れていた4人の音の重なりやコーラスワークはさらに厚みを増し、力をつけた言葉をもてあますことなく全力で歌いあげる笠井の歌声を支え、彩る。音にも、言葉にも、頼りなげな物足りなさはもうない。

 

今作、「ReleaseMe?」を提げて、彼らは今ツアーを回っている。ツアータイトルは「#言葉は死角か 視覚化可能か?」。「理系ロックバンド」を掲げてきた彼らが、今掴もうとしているのは「言葉」だ。

《本心見せない上辺のセリフも隠し通せば美しいままで/麗しき愛を謳ったフレーズも響かなければゴミと化すのかい?》(ReleaseMe?: M.03「スペルズ」)

言葉は目に見えるものではなく、口に出したからといって100%で伝わるものでもなく、答えもなければ方程式もない。普段何の気なしに使っているその言葉は、自分と相手との間で全く同じ意味であるとは限らない。ともすれば、違うことの方が多いかもしれない。その言葉自体が持っている雰囲気や、言葉を交わす人との関係性、そしてその言葉が発される場面。いろんな情報を加味しながら、会話の中でじわじわと擦り合わせた「言葉」で私たちは会話をしている。それは死角だろうか。視覚化可能だろうか。形にして取り出せたとして、それをもって人は本当に分かり合えるのだろうか。今改めて、PRIMAL CURVEはそんな言葉の不確かさと、不安定さと、そしてそれ故の安心感とに切り込んでいる。きっと今だからできるのだ。彼らだからできるのだ。音楽に文理など関係ないとはいえ、「1」は「1」であっても、「一人」が決して「独り」ではないように、言葉を武器にしてきたか、あるいはツールとしてきたかで、その見え方は変わる。だとすれば、音楽のカタチも、聴こえ方も、鳴らし方も、その中にある言葉の役割も、きっと千差万別のはずだ。

だから、彼らの答を見たい。意味をつかもうと近づけば近づくほど、真意にせまろうとすればするほど、するすると解けてしまうように逃げてゆく「言葉」に向き合って、彼らが出す答えを。

 

『言葉は死角か 視覚化可能か?』