海の星座

光を射す言葉を。

感情の解放 -ユビキタス "ジレンマとカタルシス"-

現在、LIVE TOUR 2016-2017『カルテット』と銘打ったツアーを敢行中のユビキタスから、4枚目のミニアルバム「ジレンマとカタルシス」が届いた。前作から約2ヶ月での発表となる今作は昨年11月にリリースされたミニアルバム、「孤独な夜とシンフォニー」の連作であり、対になる作品だという。ジャケットもまさにその通り、同じ構図でありながら、前作が夜を描いたものであったのに対し、今作は真昼の太陽が主人公の頭上に輝いている。

 

今作は全7曲を通して、かなり解放的な音作りが成されている。これまでの作品には必ず入っていたミドルテンポやバラードの曲がなく、1枚の中で緩急をつけるというよりは、クレッシェンド的にこのアルバムとしてのクライマックスに向かっていくようなものに仕上がっている。また、イントロから思わずクラップしたくなってしまう、ファンキーな「10」(M.03)や、T.Rexの「Get it on」を彷彿とさせるようなベースラインが光る「R」(M.06)のように、彼らの音楽性の幅広さを、これまでよりもごく自然に馴染んだ形で見せているし、それはこのバンドそのものがそれだけ大きな器を持つようになったことを示していると言えるだろう。

歌詞という面から見ても、《日々塗り替えてく/人生全て楽しむ/準備はできたか?》(M.03: 10)や《息を吸って 深く吐いて/明日からなんか上手くいきそうだよ/毎日思ってる》 (M.06: R)からも明らかなように、前作のみならず、今までの作品を全て超越するほどのポジティヴさを花開かせている。さらにほとんどの曲に「未来」「明日」という言葉がちりばめられ、サウンドとも相まって否応無しにこちらの気持ちも上向きになる。これが今の自分の全てだとヤスキは語る。だとしたら、今の彼はなんと爽快なまでに突き抜けているのか。今までの葛藤も悩みも苦さも全部ひっくるめて昇華し、《悩むのも そろそろ飽きてきた頃だな》(M.07: カタルシス)と、一種の開き直りを見せる。

 

前作では自身を見つめ直し、自身の抱える感情と真正面から向き合っていた。それがそのまま落とし込まれたアルバムであったために、それは内へ内へと潜り込んでいくような空気をまとっていた。しかし、今作はそれを経た上で今の自身の感情を素直に言語化した作品となっていて、逆に、外へ外へと思考や行動を広げていくイメージを備えている。この「ジレンマとカタルシス」は前作「孤独な夜とシンフォニー」に対する彼らなりの返答であるように思われる。

そして同時に、「ジレンマ」(M.01)から「カタルシス」(M.07)までの間でも、葛藤から解放へと向かう感情のグラデーションが明るいタッチで描かれている。しかしその明るさは、ポジティヴさは、聴く者の感情を置いてけぼりにはしない。いつも通り、彼らの音や言葉は、共感や賛同を求めるのではなく、そっと寄り添うように優しく響く。その優しさが胸にしみるのは、歌詞の端々に見られる鋭い言葉が心に刺さるのは、あくまで彼らが等身大で音を鳴らし、歌ってくれるからだろう。どれだけバンドのモードが変わり、作詞者であるヤスキのモードが変わろうとも、そのナチュラルさが変わらないのは今後も彼らにとって武器となるはずだ。

 

「ジレンマとカタルシス」を「葛藤と解放」とヤスキは訳す。しかし「カタルシス」は「精神の浄化」という意味を根底に持っている。抑圧された感情を、自身の中に鬱積する混沌とした葛藤を浄化して、その後に残ったものがこのアルバム「ジレンマとカタルシス」なのではないだろうか。このアルバムを作り上げたことで、本当に歌っていきたいことを、鳴らしたい音を見た今の彼らは、これまでで一番強く、輝いている。

謹賀新年

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

遅々として更新の進まない本ブログではございますが、お読みいただいてる皆さま、本当にありがとうございます。

 

今年こそはライターとしてちゃんとデビューしたいと、願望と少しの焦燥を抱いております。

 

(あとせめて定職を持ちたい)

 

2017年もこれまでと変わらず、音楽に、アーティストさん方に、誠意と愛を持って向き合っていく所存です。

駆け出しどころかたまご未満なライターではございますが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

皆様にとって良き1年となりますように。

ピアノロックの呪縛 -16/12/14 WEAVER presents Music Holiday Vol.1-

私がWEAVERに出会ったのは5年前、2011年のことだった。ギターの代わりにピアノを据えた3人組ロックバンドの姿は、音楽にのめり込んで間もない私にとって、前例のないカタチで音楽を追い求めるバンドとして煌いて見えた。ピアノによるメロディーは耳馴染みが良く、流麗で、可憐で、それでいて力強かった。Vo./Pf.杉本の指が鍵盤上を踊るように動き、Ba.奥野がメロディアスなベースラインを奏で、Dr.河邉が支えるだけでなく彩るようなドラミングを見せる……そんな三重奏は、本当に美しかった。

 

先日彼らはこれまで避けてきた対バンイベントを開催した。ゲストに迎えたのはレーベルメイトのLAMP IN TERREN、そして、今のロックシーンの第一線で活躍するBIGMAMA。前者はともかく、後者は接点なんてあったの?と一瞬頭をかすめるが、MCで金井政人(BIGMAMA)が言ったように、確かにピアノやバイオリンを加えた、新しい形のロックバンドとして常に戦っている。彼らが近づくのも当然と言えば当然か。

トップバッターのLAMP IN TERRENは、Vo./Gt.松本の魂を削るような歌声が空を裂き、なんばHatchという大きな会場をもまだ小さいと思わせるほどの存在感を見せた。

続くBIGMAMAはさすがと言うにふさわしいステージング。WEAVERファンに合わせたかのような、バラードを中心としたセットリストで、普段のBIGMAMAとは少し違うテイストを見せた。

そんな2バンドによって、オーディエンスの盛り上がりはすでに最高潮を迎えようとしていた。そして筆者に限って言えば、いつしか彼らのライヴから足が遠のき、これが約2年ぶりとなるWEAVERのライヴ。どんなものを見せてくれるのかと、期待半分、そわそわ半分であった。

 

3人がステージに立ち、赤、緑、青にそれぞれ光るスティックを掲げた。サンプリングパッドを使って打ち鳴らされる音はさざめきから、大きなうねりとなって、観客を飲み込んでいった。そこには4、5年前までの彼らはいなかった。サウンドの作り方、表現、見せ方、全てが同じバンドのものとは思えないほどに、大きく成長していた。控えめでスマートな、繊細なピアノロックバンド。それがかつてのWEAVERだった。それが今や、スマートさと繊細さをそのままにエレクトロサウンドを使いこなし、過去の曲をもダンスロックにアレンジしながら、自信たっぷりに笑う。たった2年で人はここまで変わるのか、バンドはここまで変わるのかと目を疑った。ステージに置かれたのはグランドピアノではなく、小さなキーボード。かつてWEAVERをWEAVERたらしめるほとんど唯一の武器であったピアノは、もちろん今でも彼らのコアではあるだろうが、今の彼らにとっては音楽表現の一つの手法に過ぎないのではないだろうか。ピアノの価値が下がったというのではなく、彼らの持つ音楽の表現方法が格段に増えたという意味で。知らないバンドが知っている曲を演奏している、と言ってもいいくらいに、彼らは変貌を遂げていた。

まるで呪縛が解けたかのような変貌だった。「唯一無二だ」と思わせるバンドへの進化。彼らが望む望まないに関わらず、「レーベルの弟分、優雅で美麗なピアノロックバンド」という目があった。それはいつしか彼らにとって殻のような、さらには呪縛のようなものになっていたのではないだろうか。しかし今の彼らにそんなしがらみは微塵も感じられなかった。レーベルメイトが増え、彼らが兄貴分にまで上がったからかもしれない。ロンドン留学で得た音の感覚が今徐々に結実しつつあるのかもしれない。理由はなんであれ、流れるような優美さを湛えるメロディーだけではなく、明滅するイルミネーションのような華やかさをその音に散らすことができるようになった彼らは、最初に出会ったあの頃よりも、ずっと美しく見えた。その美しさは花のように可憐なそれではなく、心の芯から光を放つような、自信に裏打ちされた、凛とした美しさだった。

 

今のWEAVERのワンマンを見たい。改めて筆者は強く思う。進化したと言えど、もちろんここで終わりはしない。だからこそこれからは見逃せない、見落としたくない。唯一だと言い切れる自信とバンドとしてのアイデンティティーを強固なものにしたら、どんなバンドにも負けないだろう。WEAVERを見るなら、今だ。

三者三様の音模様 -16/12/05 セクマシ∞飯室大吾の圧倒的な期・待・感!! vol.1-

12月の最初の月曜日、文字通り「圧倒的な期待感」を胸に心斎橋JANUSに足を踏み入れた。月初の週始めだというのにフロアはすでに満員が近い。ファン層はあまり重ならなさそうな3バンドだと思ったが、意外にそんなこともないのかもしれない。

この夜のアクトはココロオークション、Brian the Sun、そしてホストのセックスマシーンだ。セックスマシーンのVo.森田に言わせると「脳みそ真っ二つになっちゃう」くらいに毛色の違う3バンドだが、だからこそ大きな化学反応を起こせるのではないかとさらに期待が高まった。

 

1バンド目にはココロオークション。凛とした姿勢と、それがそのまま表れた音が魅力的な生粋の歌モノバンドである。結成から5年、関西イチゼロ世代最後の切り札と呼ばれながら、満を持して今年メジャーデビューとなった。そのメジャーデビューミニアルバムのリードを飾った「フライサイト」を筆頭に、新旧バランスよく取り揃えたセットリストで魅了した。3曲目に披露された、「星座線」は来年1月にリリースとなるメジャー2ndミニアルバム「CINEMA」のリード曲であるが、演奏面において、これまでのココロオークションのイメージとは異なる、スパイシーな一面を見せている。Ba.大野の深く鋭いテクニカルなベースラインが引き金となって、Vo.粟子の柔らかくも芯のある声がピリッとひきしまる。歌モノバンドといえば誤解されがちであるが、彼らはただ優しいだけでも、ただ美しいだけでもない。歌、言葉というものに込める気持ちは底なしに深く、そこに注ぐ情熱は、生半可なものではない。心を見透かすかのように、粟子はじっとオーディエンスひとりひとりの目を見つめる。何かを伝えようとする彼の姿は、ココロオークションというバンドの姿は、恐ろしいほどに清廉で、美麗だった。

 

続くのはBrian the Sun。彼らもまた今年メジャーに進出した関西出身バンドの一つだ。かねてよりそのビタースイートなサウンドや、時に飾らず、時に深い精神世界を見せる言葉の数々で音楽ファンをひきつけてきた。この日もデビューシングル「HEROES」や、「彼女はゼロフィリア」でアグレッシブに鳴らしてフロアをあたためたのちに、「Maybe」で緩やかに柔らかく歌い、「ロックンロールポップギャング」でとどめを刺した。ココロオークションが歌モノだと称されるならば、Brian the Sunは"王道"ギターロックだと言えるだろう。しかし当然、彼らが王道なんてものに甘んじるとは思えない。鋭く刺したかと思えば優しく歌い、甘やかに誘ったと思えば突き落とす。そんなサウンドの技巧が、ストレートな言葉たちが、Brian the Sunというバンドの魅力だ。恥ずかしながら、筆者はまだ彼らを知っているとは言い難い。知れば知るほど遠のくような、そんな届かなさを思わせるBrian the Sun、次に日本のロックシーンに革命を起こすのは、彼らの絶対的なバランス感覚の上に成り立つ音楽のような気がしてならない。

 

そして関西が誇るパンクロックバンド、セックスマシーン。そのバンド名と風貌からして、どう見てもコミックバンドなのだが、そして実際ネジのぶっ飛び方は確かにコミックバンドのそれなのだが、彼らはパンクロックバンドだと言っていいだろう。鼓膜が割れんばかりの大声で、森田が叫ぶ。何もかもがバカバカしくなってしまうくらい彼は真っ向から立ち向かってくる。自分のいるところがステージの一番前だ、と豪語し、どこまでも走って行ってステージの幅を広げてしまう。後ろの方でぼんやり立っていてもステージに乗っていることにさせられる。しかし多少無理矢理でも巻き込んだもん勝ちだ。傍観に徹したところで、彼は意に介さない。そして不思議なことに、気づいたら彼に合わせてシンガロングしている。言葉や音で惹き付けるタイプのバンドではない。「気づいたら飲み込まれている」のだ。一度味わってしまえば、また行きたくなる。セックスマシーンはそんな不可思議なバンドだ。有り余るほどに情熱的で、どんな空気もものともしない逞しさ。そんな泥臭さは敬遠されがちだが、こんなにも、格好いいのだ。

 

どんなしっちゃかめっちゃかなイベントになるかと思ったら、3バンドがそれぞれ己の良さを正面からぶつけ合った結果、かなり色濃くハイカロリーな一夜となった。やはり化学変化は面白い。共通点の少なそうなバンド同士にしか生み出せないものが見られるのは、こういうイベントくらいなものだろう。

全ては「きみしだい」 -NICO Touches the Walls "マシ・マシ"-

リリースが発表された時、まさかと思った。ラーメン好きはわかるけど、とうとうそれをシングルに冠してしまったのかと。実際にその音を耳にするまで、彼らの真意を測りかねていた。

11月30日にリリースになったシングルの表題曲である「マシ・マシ」は体を揺らしたくなるファンキーなリズムとサウンドに、Vo.光村の力強い歌声が乗るというシンプルな構成ながら、ゴスペルのようなコーラスと清々しいホーンが迫力を添えて、かなり聴きごたえのある1曲となっている。

 

あとはきみしだいです あとはきみしだい

きっと理想 願いを叶えるも 黙って明日を迎えるも あとはきみしだい

サビで「あとはきみしだいです」と繰り返されるこの曲は、NICO Touches the Walls流の応援歌だ。文字で見れば、投げやりで突き放すようにも聞こえるその言葉も、NICOの手にかかれば、光村の歌声に乗れば、背中を押す一言に変わる。

とあるライヴで光村は、「マシ、ってマイナスな言葉じゃないと思うんです。ちょっとマシってそれが積み重なっていけば、良くなっていくでしょう?そんな『ちょっとマシ』を『増し』ていけたら、と思ってこのタイトルをつけました。」と語った。誰だって他人の言葉に一喜一憂して、自己評価さえも左右される。だがそれも自分の考え方一つで喜にも憂にもなる。自分次第で日々はより「マシ」になっていくし、その先にはきっと、理想を叶える自分がいる。「自分次第だ」なんて当たり前のことを歌っているようだが、実際にそれを意識していようと思っても意外と難しいものだ。自分次第だよ、と言ってくれる第三者が、時に必要になる。

押し付けるのではなく、ただ背中を軽く叩いてくれる存在。NICO Touches the Wallsというバンドが持つそんな距離感からこそできた1曲だ。

 

カップリングに収録されている「MOROHA IROHA」はビッグ・ビートをベースに置いた、「マシ・マシ」よりもさらに踊れる1曲だ。光村の音楽ファンとしての「今こういう音楽が聴きたい」という欲に基づいて作られたこの曲は、メンバーによる『やっていて気持ち良い、何回やっても楽しい』かどうかという物差しの上で完成されていったという。

何かに対する怒りというよりは漠然としたイライラのような、皮肉のような言葉がタイトに収まっている歌詞だが、その言葉のハマり方、さらに語感の気持ちよさは光村節が光っているとしか言いようがない。鈍器で殴るような重さではなく、細い針でピンポイントに深く刺すような鋭さがある。これもまた、「やっていて気持ち良い」にカウントされた部分であっただろう。

そして今や定番となったカバーシリーズだが、今回彼らが選んだのはUAの「太陽手に月は心の両手に」だ。ジャジーで優雅なベルベットを逆撫でするようなざらつきを内包するこの1曲を、NICOは見事に踊れる、ファンキーなロックへと作り変えた。このアレンジにしても、「マシ・マシ」、「MOROHA IROHA」にしても、今回のシングルにはNICOの『自分がどういう音を聴きたいか、リスナーとしてどういう歌を歌われたいのか』という現在の命題に対する答えが詰め込まれているように感じられる。また、それは先にも記した『やっていて気持ち良い、何回やっても楽しい』という物差しにもつながっているはずだ。

 

NICO Touches the Wallsが今回世に送り出したものは、昨今の高速四つ打ちブームには逆行する形になる。しかし、四つ打ちはやらない、という暗黙のルールをかつて持っていた彼らにとって、そんな時代の流れに抵抗することは決して難しいことではない。それよりも、「こんなのもあるよ」とリスナーに提示し続けていくその姿勢は、ロックバンドとしてのある種の正しい姿のようにも思われる。

こんなのもあるよ、とNICO Touches the Wallsの差し出すものを受け取ってみるのか、騒げないからと撥ね付けるのか、「あとはきみしだい」だ。

四重の共鳴 -16/11/25 ユビキタス LIVE TOUR 2016『カルテット』@京都MUSE-

昨夜の京都MUSEはさながら感情の坩堝と言ったところだったか。ユビキタスは毎ツアー、毎会場、実に面白い取り合わせでブッキングをする。仲の良いバンド同士なのは言うまでもないが、そのジャンルは多岐にわたり、彼らの交流の広さを思い知ることとなる。昨夜の共演はLOCAL CONNECT、ウルトラタワー、Brand New Vibeの3組。それぞれがホストのユビキタスを食ってしまうような熱量のライヴを見せてくれた。

 

トップバッターは地元・京都のLOCAL CONNECT。前回彼らのライヴを観たのは8月のことだった。その時、どことなく空回りな雰囲気を感じたのだが、今回は見事にそのイメージを払拭し、オーディエンスを丸ごと巻き込んでいた。ISATOの芯の強い、圧倒的な声量と歌唱力、Daikiのクリアで抜けるような歌声という、一見相反するかにも思えるツインボーカルの彼らのコーラスワークは、これまでもオーディエンスを魅了してきた。しかし、この夏から秋にかけて行われたCONNECT YEARと題されたツアー、そして先日終了した東阪でのワンマンライヴを経て、さらにその結びつきを強固なものとし、聴く者の心に直に響かせるような力を放っていた。その声をまーきー、しゅうま、Natsukiの鳴らす音色が彩り、5人の音がそれぞれに色鮮やかな粒となって降った。

結成当時から大事に奏でつづけている「コスモループ」がステージから溢れ出す。今年の春のアルバム「7RAILS」に収録の楽曲からも分かる通り、彼らは今その表現の幅を、創り出す音楽の幅を広げる途上にある。しかし彼らの芯にあるものは変わらない。《生きていたいと願うことが/温もり宿す灯火に/かけがえないその1秒を/誰かのため 自分のため/ありのままで生きていよう》そう歌うISATOの表情は柔らかい。着実に人気バンドへの道を猛進しながらも、背伸びも飾りもしない5人の姿に、すっと胸が軽くなる。大丈夫だ、間違ってないんだと思わせてくれるステージだった。

 

十分にあたためられたフロアを前に、ステージに登場したのは滋賀のウルトラタワー。爽やかなギターロックに、Vo./Gt. 大濱のハスキーボイスが重なる。口数は多くはないが、素朴な印象を受けるバンドだった。今を生きる若者ならではの焦燥感や夢が歌われ、初めてなのに初めてでないような、そっと側に寄り添う優しさを感じた。

これまでウルトラタワーは同郷と知りながらも機会がなく見そびれていた。昨夜のライヴはそんな自分の行動力のなさを後悔するほどに格好よかった。竹内の音の粒のはっきりとしたドラミング、平柿のしっかりと地に足のついたベースライン、流麗でメロディアスな寺内のギター、そして大濱の耳に残る声と素直な唄い方。その四重奏の中に芯の強さを感じさせ、ダンサブルなロックチューンが溢れるメジャーシーンにおいて、得意とするミドルテンポやバラードの楽曲で勝負していく4人の力強さを感じさせた。

 

3番手には東京は町田からBrand New Vibe。エモポップバンドと称される6人組の姿は、音楽スタイルは、例えば、ユビキタスのそれとは大きく異なる。この日の4組の中でもかなり異色だったと言えるだろう。「見た目も音楽も、まるっきり違うけど、それでも共鳴するところがあるから呼んでくれた。何が響き合っているのか、ステージを見て、音を聞いて感じて欲しい。」VOX KEIが語りかける。イベントを組むのに、同じジャンルである必要も、ファン層が同じである必要もない。いつもの仲良しメンバーでばかりブッキングをしたところで、目新しい刺激はないだろう。Brand New Vibeが見せてくれたライヴはまさにそんなことを改めて考えさせてくれた。

6人という人数に対して小さなステージの上で、彼らはどっしりとした力強いサウンドを鳴らす。爆発するかのようにステージから音が溢れ、オーディエンスを飲み込む。KEIの吠えるような叫びと、Nobuの澄んだ歌声が重なり合って鼓膜に、心に刺さる。反発しあいそうなほどの荒々しさと繊細さが同居する不思議なバンドだ。「俺の歌詞はずかずか心に乗り込んでいくけど、ヤスキくんのはちゃんと3回ノックをして、入ってきてくれるでしょ?俺にはそれはできないから、俺が持ってないものをたくさん持ってるから、すごいなあと思うよ。」とKEIはつぶやく。そうか、共鳴って別に、同じ手段を取る必要もないんだよな、と気づく。彼らはお互いにないもの、だからこそ惹かれるものに共鳴しているのだ。

年明けに彼らはZepp DiverCityで2度目のワンマンを行うという。広いステージであればあるほど、彼らは魅力的に輝くに違いない。決してソールドアウトも無茶な話ではないだろう。

 

そしてトリはユビキタス。3バンドがそれぞれのカラーを存分に見せつけ、オーディエンスを焚きつけた後のステージで、彼らはどんな光を我々に見せるのか。

ステージに上がった瞬間から、彼らの目の色が違った。自分たちの主催でありながらもギラギラと好戦的な眼差しをして、何かに挑んでいくような姿勢だった。仲間であり、友人であり、それでいて負けたくない相手としてゲストのバンドを捉えていることの表れだったのだろう。セットリストはもちろん、「孤独な夜とシンフォニー」を中心に構成され、今まで根強く残っていた「ワンダーランド」をもそこから外していた。それは1月にリリースの新譜へ、さらにはその先の飛躍へ確実につなげるという、彼らの意思と現在地を提示しているのだと受け取れた。

昨夜のステージで言えば、さも楽しそうに表情豊かに唄い奏でるVo. ヤスキと、アグレッシブなサウンドで楽曲の持つ強さを見せつけたBa. ニケの姿が非常に対照的だった。その間でストイックかつ丁寧に鳴らすDr. ヒロキを含め、3人はそれぞれバラバラの方向を向いて好きなように鳴らしているかに見えたのだが、音の結束は強く、また彼らの表情も視線もお互いを意識し、リンクしあっていた。ライヴを重ねるごとに、彼ら自身も、その音も表情豊かになり、力強いものとなっていく。それは互いへの信頼感と、鳴らすものへの自信が確かなものへと変わっていることを示しているのではないだろうか。

最後は次の新譜に収録の「カタルシス」を届けた。先日リリースのミニアルバムのものとは、また趣向の違うメロディーとサウンドで構成され、自分と向き合い尽くした結果のまさに【カタルシス】が見られる言葉が並んでいた。まだまだ彼らは開花する。それを確信できる夜だった。

 

共鳴とは、決して同じ方向を見るということではない。同じ考え方をするということですらないだろう。何かいいなと思うこと、どれだけその部分以外が違っていようとも、何かが心に留まるということを言うのだ。

昨夜の4バンドは、確かに共鳴していた。自身にあるもの、もしくはないもの、ほしいもの、考えたこともなかったもの……いろいろあるだろうが、彼らは音楽という同じツールを手にして、お互いの心を惹きつけあっている。そんな姿を目にしたオーディエンスはきっと幸せだ。そして彼らだけでなく、あの場にいたすべての人が、何かしらで共鳴したはずだ。

青春の瞬間性 -BURNOUT SYNDROMES "檸檬"-

−− 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。 −−

檸檬、と聞いて、真っ先に梶井基次郎の短編が思い浮かぶ人は決して多いとは言えないだろうが、フルアルバムのタイトルが檸檬だと聞いた時のこのバンドのファンに限って言えば、かなり多かったのではないか。

 

11月9日にリリースとなったフルアルバム「檸檬」はBURNOUT SYNDROMESの、その心臓である熊谷和海の、短編小説集だ。少年少女が揺らめく心を抱え、飛ぶように過ぎる景色に当惑しながら目一杯に今を生きる物語が切り取られている。その歌詞世界は、ただの歌詞ではない。読むだけで、聴くだけで、その風景が目前に広がる映像的な、言うなれば、文学作品なのだ。

 

『青春文學ロック』を掲げ、颯爽とデビューしてから8ヶ月。デビューシングル「FLY HIGH!!」と2ndシングル「ヒカリアレ」の2曲は、人気アニメ「ハイキュー!!」の2期連続のオープニングテーマに抜擢され、彼らの名はロックファンのみならず、中高生やアニメファンにまで広く知られることとなった。


BURNOUT SYNDROMES 『FLY HIGH!!』TVアニメ「ハイキュー!!セカンドシーズン」第2クールオープニング・テーマ(Short Ver.)


BURNOUT SYNDROMES 『ヒカリアレ』Music Video TVアニメ「ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校」オープニングテーマ

そんな中リリースされた今作は、過去の作品よりもかなり青春色が強い。この作品の中の主人公たちは皆それぞれに若く、青く、そして眩しい。《宜候 風よ 何時までも心騒めかせて/宜候 胸を帆のように張って突き進め/Bottle Ship Boys》(M.02: Bottle Ship Boys)や、《胸一杯に息を吸う/名前を呼ぶ 君が振り返った/どうか笑わないで聞いて/あのね 君が好きだよ》(M.06: ナイトサイクリング)という歌詞など、心がむずがゆくなるほど、聴いているだけで甘酸っぱくて、ほろ苦くて、心の端っこをきゅっと抓られるような痛みすらも覚える。私がとうの昔に葬った青春。置き去りにしてきた過去のわずかな時間。それが、彼らの音によって、熊谷の言葉によって、色鮮やかに眼前に蘇ったような感覚だった。人生のうちの、一瞬で過ぎ去ってしまう青春という尊い時間を真空パックにして閉じ込めたようなアルバム。そこに描かれる青春は決して美化された、爽やかさ100%のものではないから、その只中にいる時よりも、過去から取り出して眺めるような距離感で捉えた時に輝きを増すような魅力を持っている。

そういう空気感は同世代のバンドにはなかなかないものだ。クラシック音楽近代文学を取り入れることによって、彼らは24歳の若さでありながら、爽やかなだけでなく、浪漫めいた、セピア色の音を見せることができる。それは昨今のバンドブームで人気を集めたバンドの中でも特殊であり、また、他のバンドから一線を画す部分でもある。

 

しかし、BURNOUT SYNDROMESはその特異性は変わらずとも、デビューを境に大きく変わったように見える。華々しいデビューとともにその名を知ることとなった中高生はおそらく、これまでの彼らの音楽を知らない子が多かったのではないかと思う。情熱的で爽やかな、青春を存分に謳歌するかに見えるFLY HIGH!!の同線上で彼らが歌ってきた青春の影にある昏さを知った時、そこにどんなギャップを感じるのだろうか、とふと思いを馳せた。そのギャップが負の方向に働かないとも限らないとしたら、BURNOUT SYNDROMESはこの先どんな道を選ぶだろうか、と。

どうか、ブームごときに終わってくれるな、と心の底から願う。それは彼らが単に異質だからではない。The SALOVERS以来の青春文學ロックというジャンルを担う筆頭だからでもない。BURNOUT SYNDROMESは、教室の隅にいる少数派のヒーローになりうる存在だからだ。行事に熱を入れて取り組むような、部活熱心でみんなからちやほやされるような「クラスの中心」ではなく、そのずっと外で、じっと本を読んでいるような生徒たちの心のヒーローになれるようなバンドだからだ。かつてその少数派にいた人も、きっと彼らの音に、言葉に、共鳴するだろう。こんな存在が学生時代にあればよかったと思うだろう。そんな存在であれるのは、現時点ではこのBURNOUT SYNDROMES以外にない。この流行りの中に、埋没させてはならない。

 

その衝動的な眩しい春の時は一瞬で過ぎる。しかし一瞬で過ぎ去ってしまうからこそ尊く、美しい。そんな青春の瞬間性を見事に切り取って閉じ込めたこの「檸檬」というアルバムは、BURNOUT SYNDROMESにとって1つの記念碑的作品となるだろう。そして同時に、今青春の只中で煌めく人にも、かつて青春という時を過ごした人にも、深く強く、響くはずだ。


BURNOUT SYNDROMES 1stアルバム『檸檬』全曲トレーラー