海の星座

光を射す言葉を。

What have I sought in live concert?

これは、配信ライヴにいまいち乗り切れなかった筆者が初めて配信ライヴを見た話だ。ライヴレポートでも批評でも何でもない覚書。

 

世界が変わりだしてから、気づけば半年が過ぎた。例えば去年の夏、誰がこんな未来を想像できただろうか。誰がこんな、夏フェスにもライヴハウスにも行けない無音の夏を想像できただろうか。
思えば、「音楽が好き」はそのまま「ライヴが好き」に直結することが多く、ライヴハウスやフェスのような「密集」が忌避されるようになってしまった今、音楽好きはただ家や通勤・通学途中にイヤホンで聴くだけではどうも満たされないまま、あのかつての日々が戻ってくることを願いながら日々を過ごしている(はずだ)。というか、筆者がそうである。確かにライヴハウスに通う頻度は一時期に比べて落ちていたが、「行かない」という選択をしているのではなく、「行けない」という状態を強いられているのはやはり堪える。選択の自由の尊さをこんな形で知ろうとは思わなかった。

ちょうど某新型ウィルスがじわじわと日本に迫りつつある中で幕を開けたBIGMAMAのRoclassick tour 2020は、幾公演かを数えたところで止まっていたが、4月に入ってから、延期をアナウンスしていた公演も含めた全公演の中止を決定した。誰も望んでいない形でのツアーの閉幕、さらにドラマー・リアド偉武のいる5人のBIGMAMAのラストライヴすら叶わず、彼らは5月11日、5人から4人になった。どうやって新章を描き始めるのか、綴り始めるのか、ラストライヴなり、ファーストライヴなり、これまでだったら区切りは如何様にも付けられたはずなのに、この未曾有のパンデミックはその可能性も狭めに狭めた。そんな中であっても、彼らはやはりライヴをすることを選んだ。それはファンのためであり、同時に誰あろう音楽家であるBIGMAMA本人たちのためでもあったのだろう。音楽家は音楽でしか救えないし、音楽ファンは音楽で救えるのだ。7月20日に発表された新体制のBIGMAMAのファーストライヴはギリギリまで調整を重ねられ、最終的に無観客有料配信ライヴという形をとっての開催となったが、手探りの中でも彼らは実に彼ららしいライヴをした。

フロアを自由に使えることを利用してカメラの数を増やすことで、よく練られたカメラワークを展開させたり、従来ならステージ後方のスクリーンに映すグラフィックをスクリーンの代わりに配信画面に乗せたり、はたまたフロントマンである金井政人がステージを降り、会場入口まで歌いながら出たりするなど、いつも通りにステージ上で演奏するというライヴの形に加えて、そこにオーディエンスがいないからこそできる演出を落とし込むことで、今この時勢の中でできる最大限の「ライヴ」を作り上げたと言える。もちろん、それが「いつも通り」にできなかった中でやっとの思いでたどり着いたというところに多大な意義があるのは言うまでもないのだが、今回「We Don't Need a Time Machine」という形でBIGMAMAが提示してくれたライヴの形は、むしろこれまで、特別生配信やら過去のライヴ映像やらで画面越しにライヴを見る時に「何とかならないかなあ、いや無理だよなあ。だっておこぼれみたいなもんだもんなあ。」と思っていたところが全て改良されているものだった。スクリーンに映す映像をそのままこの画面で見せて欲しいとか、オーディエンスじゃなくメンバーを見せてほしいとか、そういうわがままが叶えられてしまっているのだ。これまで配信ライヴにどこか馴染めないでいた筆者が「これ、十分にアリだな」と思ったのはそんなわけである。

しかしその一方でやはり「ライヴが見たい」と思ってしまったのもまた事実だ。相変わらず、しぶとく、「体験」にこだわっている。確かにクーラーの効いた部屋で、好きな飲み物を片手に眺めるライヴは快適だ。座っていられるし、目の前を人で遮られることもなければ、頭上を人が転がっていって、ひどい時には脳天にかかと落としを食らうなんてことも、家ならばない。友人とLINEで実況をしながら見てもいいし、シンガロングしても迷惑にならない。それでも、そんなメリットをどれだけ並べても、「生の体験」であるライヴに勝るものにはならない。全く別のものとして楽しむ分には十分にいい。それは先述の通りだ。しかし、それはライヴではないような気がしている。ビリビリと肌に感じる音の振動や、耳に心に突き刺さってくる音や歌声、求められたシンガロングやコール&レスポンスで声を張り上げた後の喉の疲れ…そんな非日常の数々こそが、私にとっては生きている、生の、"Live"に違いないのだ。

ただひとつだけ、あえて念押ししておくべきだろう。兎にも角にも、プレイヤーとオーディエンスが時間と音楽を共有することは、その事実自体が、快く楽しく素晴らしいものだ。画面の向こう側とはいえ、時を同じくして、新木場STUDIO COASTBIGMAMAが奏で、歌い、あれだけ清々しく楽しげな表情を見せてくれたということがそれを証明していたと言えよう。

あの日夢見た景色 -ポルノグラフィティ “NIPPON ROMANCE PORNO '19 〜神VS神〜” at 東京ドーム-

20年という歳月は、言葉にするには簡単だが、実際に何かを続けながら重ねていく時間と考えると、気の遠くなる程長い時間だ。
2019年9月8日、ポルノグラフィティはその日を迎えた。デビュー20周年。CD全盛期だった20世紀の終わり頃から、CDが売れないと嘆かれるこの時代にかけて、ずっと第一線を駆け抜け続けている二人組のロックバンド。

10周年の記念ライヴも会場はビッグエッグ、東京ドームだった。あの時、ポルノグラフィティは「俺らについてこい」と次の10年へと走り出した。前回よりもハードルを上げて2Days。それでも完売したところに、ポルノグラフィティの人気が衰えるどころか勢いを増していることがうかがえる。あの時彼らについて来いと言われた以上の人が、彼らを眩しく見上げているのだ。

 

今にも天井が爆発するのではないかというほど期待感が満ち満ちた東京ドーム。開演時間を迎え、暗転しないままにステージにサポートメンバーが上がり、会場は総立ちとなる。ステージ中央からアリーナ席の真ん中に向けて伸びた長い花道の先、小さなセンターステージに、待ちわびた2人のシルエットが浮かぶ。
大歓声の中、岡野昭仁(Vo.)の一瞬で彼とわかる特徴的な声が高らかに響き渡る。

《狂喜する声が満ち溢れていた/立ち向かうように髪を振り乱し
 「その拳突き上げろ」と唄う/あのロッカーまだ闘ってっかな?》

この日のこの瞬間のために作られたようにピタリとはまった「プッシュプレイ」から「Mugen」、近年のヒット曲「THE DAY」とオーディエンスを焚きつけるような怒涛の3曲の後、岡野が嬉しそうに笑いながら、「東京ドーム‼︎」と叫ぶ。その声に応える6万人弱の声の圧に圧倒されながら、また、カラッと笑う。「わしらがー!ポルノグラフィティじゃっ!」おきまりの挨拶に、また6万のどよめきが答える。

ポルノグラフィティが20周年を迎えるまでに、いろんな人に助けていただきました。その中でもこの人なしでは語れないという人に来てもらっています。」とステージに呼ばれたのは、ak.hommaこと、本間昭光。初期ポルノグラフィティのプロデューサーであり、彼なしに今のポルノはなかったと誰もが思っている存在だ。ポルノが本間の元を巣立ってから約10年、彼らが同じステージに立つこともほとんどなかった。そんな彼を交えてのメドレーは定番の名曲から懐かしい曲まで初期のポルノをバランスよく散りばめた仕上がりとなっており、聞き馴染みのあるピアノの音に懐かしさを覚えるとともに、改めて本間とポルノの築いてきた強固な絆を感じさせるものだった。
続くデビュー曲「アポロ」はさらに彼らの歴史を物語るには実に雄弁で、デビュー当時どこか威嚇するように尖っていた岡野の声や新藤晴一(Gt.)の音色は、20年を経て深みを増し、懐かしいデビュー曲でありながら古さを感じさせることはない、ポルノグラフィティの代名詞として未だ色褪せない仕上がりになっていた。

一旦本間がステージを降り、3rd アルバムに収録の「n.t.」、5th アルバムから「Twilight, トワイライト」が相次いで演奏される。怒りと憂いを含んだメロウなこの2曲は、リリース当時よりもさらに表現力を増し、酸いも甘いも経験してきた今のポルノグラフィティが奏でることで、一層歌詞に重みと思考の深さを添えていた。

アウトロが溶けるようにフェードアウトし、そのまま流れるようにインストゥルメンタルの「Theme of "74ers"」へと移る。スクリーンには若かりし2人のこれまでのレコーディング風景やライヴのスチル写真が映され、東京ドームでのリハーサル写真で結する。何が起きるのかと厳かな、恐れすらもある空気を含んだまま静かに暗転した会場に、小鳥のさえずりが響き、一転、笑いを含んだ和やかなムードが広がる。2つ前のツアーから恒例となった、岡野の弾き語りのコーナーである。
「もうみんな分かっとるじゃろう、小鳥が鳴いたらわしが1人で出てくるって。」と笑いながらセンターステージに1人で立つ岡野が浮かび上がる。「なかなかないことなんだけど、メロディの端っこみたいなところからどんどん物語が膨らんでいって。NAOTOさんがつけてくれたフレーズも最高で。」と解説した後、まるで呟くように歌い始めたのが、10年前、初の東京ドーム公演で当時まだタイトルも2割ほどしか出来上がっていない中初披露となった「瞳の奥をのぞかせて」だった。あの日、まだ生まれたばかりだったこの曲は、10年を経て、憑依型ボーカリストと評される岡野が思い詰めたように鬼気迫る表情で歌い上げ、その色気のある声が一層際立つ、湿度のある妖艶な楽曲に成長したのだが、弾き語りだとどこか乾いたように寂しげで、ぐっと胸に迫る切実さがあった。ワンコーラス歌い終えたところで、中央あたりから波紋のようにざわめきが広がる。気づくと、岡野の隣にはバイオリニスト・NAOTOがバイオリンを片手に微笑んでいた。彼がポルノのサポートを離れてしばらく経つが、いまだに再共演を望む声が絶たないほど歴代のサポートメンバーの中でも絶大な人気を誇るNAOTOが現れたことに、会場には悲鳴すら響いた。多くのファンに「そうそうこの音」と安心感を与えるバイオリンの音色と、10年前よりも深みの増した岡野の声が重なって、切実で寂しげだった曲が心の奥底を揺さぶるような、静かでありながら情熱的な曲へと変貌を遂げた。曲が進むごとに2人の音は熱を帯び、ある種の狂気をも含む声色は息を飲むように鎮まった東京ドームの空気を裂く。最後の音が放たれ、長い余韻を残して溶けた後、ようやく自分のいる場所を思い出した観客は割れんばかりの拍手を2人に贈った。

再びメインステージに照明が点き、岡野不在の中新藤にピンスポットが当てられる。凛々しい表情と裏腹な柔らかい声と、わずかに舌ったらずな滑舌で歌われたのは「ウェンディの薄い文字」。前日に披露された「Hey Mama」とシングル「Winding Road」のカップリングに収録のこの曲という、新藤がボーカルを務める2曲が2日間のセットリストに組み込まれるのもまた、アニバーサリーライヴというお祭りならではの展開。1曲前の厳かさから一変したものの、ファンにとっては同じくらいに貴重で垂涎ものの時間となったことだろう。

ステージに岡野が戻り、最後方にずらりとストリングスが並ぶ。先ほど登場したNAOTO率いる総勢12名の "NAOTO Strings" だ。前日にはFire Hornsがブラスサウンドで華やかさと豪快さを添えた楽曲が並んだ「コラボゾーン」だったが、この日はストリングスによって荘厳さと優美さをまとったブロックになった。壮大なロックバラードである「リンク」、ポルノグラフィティを代表する「サウダージ」や「ヒトリノ夜」など、かつてNAOTOとポルノが組んでいた頃にリリースされた楽曲はもちろん、昨年リリースとなった「ブレス」までも含まれる願ってもない貴重なコラボとなった。中でも特筆すべきは「愛が呼ぶほうへ」だ。この曲だけが前日と共通してコラボゾーンで演奏されているのだが、彩る音の差によって楽曲はこんなにも表情を変えるものかと打ち震えた。「そばにある愛」を擬人化して描いたこの楽曲は、ブラスによるアレンジが加わると重厚感と安定感を増し、支えとなるような確かさを持つのに対し、ストリングスによるアレンジになると、繊細でおおらかな、包み込むような雄大さを持つ。歌詞だけでなく、メロディーだけでもなく、その時々のアレンジも込みでこの1曲は違う顔を見せながら完成するのだと改めて感じさせられるひとときとなった。

これが20周年のアニバーサリーライヴであるということも大きな理由だろうが、サブスクリプションが解禁されたこともあり、前回ツアー『UNFADED』から引き続いて、全編を通して旧譜からの選抜が多いセットリストとなった。しかし、その中においてこの先の展望をのぞかせる最新楽曲として、配信シングルである「Zombies are standing out」が並んでいたのが印象深かった。前日の公演で岡野はこの楽曲を「僕らにとって新境地を切り開いた楽曲」と紹介した。岡野の歌声は伸びやかでクリアに澄んでいながら、聴く者の心を抉るような渇望感を秘め、新藤のギターは斬りかかるように鋭く重く響きながら、鈍色の閃きを音の端々に残す。澱みと清冽さを備えながら2人が描くZombiesの姿は、彼らの歩んできた、華やかなだけではない軌跡を象徴さえする。そしてその楽曲を、岡野が「新境地」と呼んだことに希望を覚えるのだ。まだポルノが2人で進み続けること、戦い続けることを選んでくれるという希望。その時に掲げる武器として、この楽曲を挙げるということに、未来を見せてくれていると感じるのだ。

気づけばライヴも終盤。「ハネウマライダー」でタオルを回し、壮大な眺めがスクリーンに映れば、その中で新藤が楽しげに、幸せそうに口ずさみ、「アゲハ蝶」では6万人分のクラップとシンガロングが2人を包んだ。どよめきのようなシンガロングに重ねて岡野が切々と最後のサビを歌い上げる姿はさながら映画のワンシーンのようで、得も云われぬ美しさに言葉を失った。ラストスパートをかけるような選曲に薄々その終わりを感じながらも、終わらせないとばかりにオーディエンスはさらに高揚感を高め、ステージ上のポルノチームはその空気にますます焚きつけられていく。
そして本編最後に演奏されたのが、最新曲「VS」。アニメ主題歌であり、その世界観ともマッチする爽快な楽曲だが、この場においては今のポルノグラフィティを的確に描写するにこれ以上ない1曲となっており、この曲ができた時からきっと彼らには今のこの満員の東京ドームが見えていたに違いないと思わせるほどだった。2人がゆったりと歩いていく花道は彼らの進みに合わせて光を放ち、曲は徐々にクライマックスへと向かう。それはまるでこの日までの彼らの歩みを見ているようだった。

《そうか あの日の僕は今日を見ていたのかな/こんなにも晴れわたってる
 バーサス 同じ空の下で向かいあおう/あの少年よ こっちも戦ってんだよ》

そして、金色のコンフェッティが大量に煌めき舞う中、「VS」のアウトロが流れるようにとあるメロディーに戻り、岡野が再びマイクを握りなおす。すっ、と息を吸う。

《あのロッカー まだ闘ってっかな?》

たっぷりと豊かな声で高らかに歌い上げられる、「プッシュプレイ」の1フレーズ。ああそうか、と、1拍遅れで感動が押し寄せる。そこに帰るのか。まだ闘ってっかなと問いかけた少年へ、こっちも戦ってんだよと返す今のポルノ。そしてそれは同時に、未来の彼らへの問いかけへ変わる。何年後かのポルノへ、例えば10年後のポルノへ。
岡野はドームを埋め尽くす観客を感慨深げに見つめながら、「わしらにはなーんもなかった。でも、きっとなんか大きなことができるって、漠然と思うとった。夢だけはでかかった。みんなが助けてくれて、みんながポルノを求めてくれたけえ、今日ここに立てとるんよ。この景色を見れとるんよ。ありがとう。偉そうなことを言うようじゃけど、そういう大きい夢みたいなもんを、1個、大事に自分の中に持っておいて。それを大事に信じて進んで。」と語った。その言葉と東京ドームの真ん中で気高く立つ背中が、20年闘い続けた背中が、「大事な芯を1つ持つこと」がどれほど人を救うのかを物語っていた。

 

 アンコールには「本当に最後よ?」とばかりに「オー!リバル」、「Century Lovers」、「ライラ」を立て続けに演奏。「VS」から「プッシュプレイ」へと抜けたあの壮大な大団円を経たあとのアンコールの盛り上がりは、まるで全員参加の打ち上げのようで楽しく、清々しかった。
そのアンコールの最後、岡野は後ろを守るサポートメンバー一人一人にメッセージを求めた。各々がポルノの2人への感謝を述べ、口々にその感動を伝えた後で、本間昭光がこう締めくくった。

「20年、お疲れ様。これからも、走っても、時々は休んでもいいと思います。でもどうか、続けてください。それが、僕たち全員の願いです。」

これはそう、本当にその場にいる全員の願いに違いない。ミュージシャンからもファンからも愛される、求心力のある岡野昭仁新藤晴一という2人に対して、2人を想う人間全員が心に抱く願いだ。ポルノグラフィティは15年前、デビュー前から三人四脚でやってきたベーシスト・Tamaと道を別った。その時、彼らは進み続けることを選んだ。ポルノグラフィティという屋号を消さないこと、ポルノグラフィティであり続けることを選んだ。気づけば、2人になってからの時間の方が長くなった。迷いながら、惑いながら、それでも誠実に、希望を持ってポルノグラフィティという生き方を選んだことが今の彼らを作り、彼らをこの満員の東京ドームへと連れてきたのだ。
新藤は「高校の文化祭、部活から、こう、デビューっていう大きな節目もあるにはあったけど、地続きみたいな感じできたから、ポルノは絶対に汚したくないものなのね。じゃけ、これからも続けます!っていうのは簡単だけど、いや、言うんだけど、わかるじゃろ?惰性でやったら汚れるけえ。ポルノを心から楽しいって思えてるか、自分に何度も問いかけながらこれからもやっていきたいと思ってる。」と、ポルノグラフィティへの愛を語った。それはどんな言葉よりも熱く愛と責任感と誇りに満ちていた。あの頃の青春の延長線上で、放課後のその先で、ポルノグラフィティは清廉に続いていくのだと信じさせてくれる言葉だった。

 

『ポルノ好きでよかったって、思った?』

10年前、ついて来いと吠えた岡野は、マイクを通さない地声で、オーディエンスにこう問いかけた。同じ場所で、まっすぐに尋ねた。
涙混じりの歓声が一瞬会場を埋めて、再び岡野が叫ぶ。

 

『わしらはポルノやっててよかったって思うとるよ!』

 

夢だけは大きかったあの頃から、彼らはこの瞬間を見続けてきたのだ。誰よりもポルノグラフィティを深く愛しながら。
大歓声に包まれて、20周年を祝うライヴは幕を閉じた。彼らは2人で21年目に足を踏み出した。きっともっと広い世界を、まだ見ぬこれ以上の景色を見にいくために。共に歩むひとに見せるために。

音の鳴るほうへ、ひかりの降るほうへ -18/06/30 sumika Live Tour 2018 "Starting Caravan" at 日本武道館-

ちょうど梅雨が明けたばかりの東京、九段下。暴力的な夏の日差しの下、“Sumika Tour 2018 Starting Caravan”と刻まれたフラッグがひらりと翻った。結成5周年を迎えたsumikaがとうとうたどり着いた武道館のステージ。彼らが万感の想いをこめて鳴らした2時間は、途方もなく美しく、圧倒的なまでの幸福感に包まれていた。

 

楽しげなメンバーの影アナから5分、すっと落ちた照明に1万人が息を呑み、鳴り響くSEとともにステージに駆け上がってくるメンバーの姿にまた1万人が歓声をあげる。瞬間、ステージからは光が溢れた。キャラバンというツアー名の通り、ステージの背後には大きなテントを模したセットが置かれ、さながら隊商の宿営地のようである。オレンジを基調にした照明の中、一瞬の空白の次に弾けたのは、「MAGIC」。その一音で、ひとフレーズで、魔法にかけられていく。日常は遥か彼方、sumikaが作り出す夢の国のような空間が広がった。そこから、人気曲「Lovers」、「カルチャーショッカー」、「イナヅマ」と新旧問わず彼らの魅力を最大限に味わえる楽曲が並ぶ。春の光のように軽やかで、夏の景色のように鮮やかな音色が、光の雨あられとなってステージからこぼれ、降り注ぎ、2階席の一番後ろまでくまなく満たしていく。角度のあるすり鉢状になった客席に囲まれながら、その歓声の真ん中で、sumikaは高らかに歌い、晴れやかに笑い、無邪気に走り回った。世界中探したってこんなに平和な場所はないと、本気で思ってしまえるような空間が広がっていた。

ちょうど折り返しのあたりでVo./Gt. 片岡健太が全員に着席を促したのち、「まいった」、「ほこり」といったメロウな楽曲をしっとりと奏で、ゆるりとした時間が訪れる。豊かで深い、こっくりとした片岡の歌声が武道館いっぱいに広がり、琥珀色のあたたかい光で包まれていくようだった。武道館という広い会場においても、どういうわけか彼の声は近い。耳元でそっと歌われるような柔らかさと優しさに思わず目を閉じて聴き入ってしまう。ふと気づけば、ステージ後方の照明はオレンジからネイビーへと変わり、夕暮れに宿営地を決めたキャラバンはそのまま夜を迎えていた。宴はまだまだとどまることを知らず、夜の深みに向かって音はさらにひろがっていく。鍵盤の上で小川貴之 (Key./Cho.)の指が自在に踊り、流れるようなうつくしいメロディーが会場を彩れば、反対側では黒田隼之介 (Gt./Cho)のエッジィで細やかな、カノンのようなギターソロが空気を飾り、ステージ後方から荒井智之 (Dr./Cho)の刻む丁寧で地に足のついたリズムがメンバーの音を受け止め、力強さを添えてまた送り出していく。「マイリッチサマーブルース」、「ふっかつのじゅもん」、「ペルソナ・プロムナード」とラストスパートをかけるように音を迸らせ、オーディエンスはますます熱を帯び、声を重ねる。あれもやりたいこれもやりたい、と言わんばかりにメンバーはステージ上を行ったり来たりして跳ね回り、最後の瞬間に向けて武道館の空気はここにきてこの日何度目かの最高潮を迎えていた。そして最新曲「フィクション」がラストを飾り、本編は華々しく幕を閉じた。興奮冷めやらぬオーディエンスは休む間も惜しいと、すぐさまアンコールを要求する。速くなったり遅くなったりしながら、まだもう少し夜更かししようと、手を打ち鳴らす。

 

sumikaは不思議なバンドだ。4人の持つ空気はとても親密でミニマルなのだが、その空気を楽曲を聴きライヴに足を運ぶファンに対しても同じような熱量と親密さで手渡す。まるでもう何年も知った仲のように。そうしながら、4人で小さなセッションを始めて、また同様に親密で小ぶりな音を作り出したかと思えば、遠くの誰かまで届くようにそれを高く放り投げて、花火のようにぱっと弾けさせる。近いところで、自分の手で作ったものを、遠くまで同じ距離感で、自分の手で持っていく、そういう不思議な音楽を作り出す。いつだって自分の感情のそばで、琴線のそばで、正しい音量と押し付けすぎない優しさをもって鳴る音楽。近いようで遠く、遠いようで近い、不思議なバンドだ。

音作りにしても、炭酸水のように爽やかなポップスを鮮やかに鳴らすかと思えば、スパイシーに皮肉の効いたロックチューンで鋭く刺す。どちらかといえばsumikaの音楽は軽やかな聴き心地でポップス色を強く感じるが、ジャジーに音をくゆらせたり、R&Bの要素を感じさせたり、シティポップ的な無機質な音を挟んでみたりと、聴き解くほどにその音楽性の豊かさと、張り巡らされた感覚の繊細さを思い知らされる。どこかからサウンドをコピーしてくる手の多彩さではなく、一度耳にしたものを自分の中で咀嚼して消化したあとに、自身の音楽の中でその時一番しっくりくるアイテムとして的確に当てはめて幅を広げていくような、テクニカルな多彩(あるいは、多才)さを感じさせる。天才的な感覚か、秀才的な計算か、そのどちらにしても彼らのポテンシャルの高さが伺え、それを思うとこれからの彼らがどう転がっていくのか、楽しみでたまらない。

 

ステージに照明が戻り、sumikaが再び駆け上がってくる。この中の誰も、まだこの夜を終えたくないのだ。名残惜しむように「下弦の月」「彗星」と立て続けに演奏し、最後に彼らが選んだのは『「伝言歌」』。片岡の想い、メンバーの想い、さらにオーディエンスの想いが全て歌声になって重なっていく。色とりどりの歌声に彩られ、武道館にはさらに光が満ちていく。

 

《伝えたい 全部あなたに/全部伝えて この言葉よ/迷わないように》

 

sumikaはこの夜、今という一瞬を抱きしめながら力一杯歌い奏で、その美しい一瞬を何百倍にも引き延ばしたような、夢のような時間を作り出した。それは今の彼らだからこそ成せたことだろう。後ろ指をさされながら夢を追った月日、悔しさに泣いた夜、喜びで世界が輝いて見えた日、折れるか折れないかギリギリのところでなんとか唄いつないだ歌。歌えなかった日々、音が溢れて止まらない時間。そのかけがえのない1日1日が、一分一秒が続いていくことの貴さや美しさ、喜び、楽しさを、一番身を以て感じているのはsumikaではないだろうか。そういう確かな実感が込められた音に宿る光は、その日を過ぎてもその場にいた人のそれぞれの生活に明かりを灯し続ける。そうしてきっとこの音楽団のキャラバンは続いていくのだ。音という光を、光のような音を、いたるところで降らせ、出会う人の心を満たしながら。そして、出会った人々の帰る『住処』であり続けながら。

「らしく」在ると云うこと -BURNOUT SYNDROMES "孔雀"-

一際目立つピーコックグリーンのジャケット。
孔雀、と名付けられたそのアルバムは、射抜くようにこちらを見つめている。

 

BURNOUT SYNDROMESの「らしさ」とはなんなのだろう。
彼らが自ら掲げる「らしさ」と、他人が彼らに投影する「らしさ」は果たしてどこまで重なるものなのだろうか。このアルバムはまさにその隔たりを象徴することとなったように思える。

 

メジャーデビュー前は当然のことながら、2016年にリリースされた1stアルバム「檸檬」から見ても、明らかに今作では成長が見られる。3人の強固な結束力から生み出される豊かな音色と物語の深みがあるが故に、そこにアレンジとして付加されていく音はどれほど挑戦的であっても美しくはまり、彼らの可能性をどんどんと広げてゆく。そういった音楽的なスキルや音の振れ幅に加え、歌詞そのものやその主人公の年齢、ひいてはBURNOUT SYNDROMESの3人が確かに年齢を重ねていることがこのアルバムからはうかがえる。それを是とするか非とするかは聴くものに委ねられるが、事実として、彼らは成長している。

檸檬」が青春色の強い、みずみずしいエネルギーと、その青春特有のほろ苦さを含んだものであったのに対し、《生命よ青春せよ 血を滴らせて/人生を慟哭せよ 美しい君よ》(M.01 ヨロコビノウタ)、《花一匁 花一匁/応 むざむざ斬られて堪るか》(M.02 花一匁)など、今作「孔雀」にあるのは生を謳い、今ある現実を受け入れながらもそれに堂々と立ち向かっていく、青春の残り香をまとわせながらもわずかに大人びた姿だ。
それは、今までの彼ら「らしさ」とは大きく異なる姿だ。きらめく青春を謳歌するクラスメイトを横目に見ながら、教室の隅で本を読んでいたその姿は見えない。青春を過去とした彼らは、クラスの中心で友人たちに囲まれるような少年少女が憧れるロックヒーローになった。その詞の中にかつてのような死の影はない。鬱屈した絶望もなく、そこには希望に満ちた未来があり、生きる喜びがある。まるでそんな過去はなかったかのように、ずっと彼らは大通りの真ん中を歩いて来たかのように、鮮やかな尾羽を広げた孔雀を世に放った。やはりなんとなく、「今までの彼ららしくない」姿として写った。

彼らの名がどんどんと世に出るにつれ、彼らは変わっていった。ファンの世代も若くなり、アイドルを見つめるように彼らを見つめた。何が原因というのでもないのだろう。あるいはバンドの頭脳であり心臓である熊谷和海の心の在り方がこれまでと変わったというだけのことなのかもしれない。ただ、彼らは変わった。それが良い変化なのか、はたまたその反対であるのか、誰にも断定できることではない。しかし私には、FLY HIGH!!ヒカリアレ、さらには花一匁の系譜を遡った先のあの青春の仄暗さは、人生にわずかばかり影を落とすような昏さは、誰でもない彼ら自身の手で過去のものとされてしまったように思われた。それはライヴで演奏しないなどといった目に見える形ではなく、「そんな時代もありましたよね」と記憶の中から引っ張り出してくるようなかたちの、「過去」。

 

しかし、バンドを動かすのが人間である限り、全ては流れ、変わりゆくものだ。熊谷はこの作品の根底にあるテーマを『「らしさ」を愛する』こととしたという。らしくあるというのは、あるがままであるということ。それを愛するということ。ならばこのアルバムは、今のBURNOUT SYNDROMESにしか生み出せない、彼ららしいものなのだろう。そうやって、彼らがあるがままで音を奏で、言葉を紡ぎ続ける限り、彼らは長く愛されるはずだ。ただ、彼らが、音楽コンテンツの一つとして、ちやほやされるのみで「消費」されてしまわないことを願う。

 

ひとつまみの焦燥

近年はThe Floorの躍進が特に目立つ札幌のミュージックシーンだが、昨年はバンドの解散が相次いだ。そんな中で、地道に歩みを進めてきたアルクリコールが先週、ミニアルバム「Re:versal」をリリースした。THEサラダ三昧からの改名後、初のリリースとなった今作は、バンドにとって初の全国流通盤である。

 


アルクリコール「ユアライト」Music Video

 

このアルクリコール、ただの爽やかなギターロックバンドではない。確かな歌唱力と、それを支え彩るサウンドはまさにギターロックとして正しい姿であると言えるが、どこか引っかかるのだ。耳触りがいいだけではなく、一瞬間心にざらりと引っかかる。それが一体なんであるか、その時点では今ひとつ「これだ!」と断言はできない。しかし見過ごすことのできない、痛みにも似た一瞬のざらつきが、彼らの描く世界に、鳴らす音の渦に、リスナーを引き込む。
沈み込むように、たゆたうように彼らの音に身を委ねると、だんだんと視界がはっきりしてくる。このバンドのソングライターであるワタナベヒロキ(Gt.)の描くメロディーラインとリリックは切なさとほろ苦さが丁寧に織り込まれ、早坂コウスケ(Vo./Gt.)の柔らかくも存在感のあるアルトが、さらにそれを丁寧に歌い上げる。穏やかな響きの中に鈍い騒めきを持つ五十嵐ハヤト(Ba.)のその音色は早坂の伸びやかな声によく合い、後藤フミト(Dr.)の真面目で純朴なドラミングは、絶妙なバランスで重なり合う3人の音と声を支え繋いでいく確かさを持つ。綺麗でまとまっているようで、やはりざらつく。危うさをほのかに感じる。

このざらつきは、おそらく、所々に散りばめられた焦燥感だ。

生まれ育った札幌の街でバンドを組んで6年半、メンバーチェンジもなくTHEサラダ三昧として、アルクリコールとして重ねてきた時間の中には、苦々しげに顔を歪め、うまくいかないことに苛立って唇を噛み、感情を持て余して地団駄を踏んだ日もあっただろう。決して楽しいばかりでなく、美しいばかりでない日々が、あるいは若さゆえの遣り場のない不安や苛立ちが歌詞に、声色に、奏でるラインに滲んでいく。そしてその欠片はメランコリックな音の中で、静電気のように一瞬間、スパークする。

《迫る不安の影にいつまでしがみついてるんだ/つまらない自尊心などは必要ないよ》(M.01 ユアライト)

《本当何やってんだ僕は/こんなはずじゃなかったよ/日々、刻むリズム飽きてしまっていた》(M.05 Days)

この焦燥は、やり切れなさや苛立ちは、決して彼らだけが特別持っているものではない。だからこそ、聴きながら彼らの音や言葉にざらつきを覚えるのだ。言葉で表現しきれない、曖昧な既視感が心をよぎるのだ。しかし彼らは、その持て余した感情をどこかへ投げつけるのではなく、あくまで音の中に閉じ込めようとしている。

《繰り返してる劣等感も/いい加減に捨て去ってさ/明日を迎えに行こう》(M.05 Days)

《単純明快な問題の/解決策は知っていた/最大限有言実行/足を止めるな》(M.06 クラリオ)

それは彼らが、ただその手の感情を覚えるのみでどうしようもできずにもがいている時期を過ぎたことを示す。無謀に遠い未来予想図を描くことで見て見ぬ振りをするのではなく、ただ足元にある日々の中で、それを抱えながら自分自身と折り合いをつけていく。人が10代20代に多かれ少なかれ持つもどかしさとその世代の華やかさを微妙なバランス感覚で混ぜ合わせたバンド、それがアルクリコールだ。

 

全国デビューを果たし、軽やかに地を蹴って走り出したばかりの彼らには未来が広がっている。希望も可能性も無限に散らばっている。甘く爽やかで心地よい歌の中に、ひとつまみの焦燥をスパイスとして織り込んで、彼らの音は響いていく。

 

鳴らすなら、3人の音を。 -17/12/26 ユビキタス at 2017 今を賑わすバンド超会議-

失くしたと思っていたピースが思いがけない場所から見つかって、穴の空いていたジグソーパズルがうっかり完成したような、そんな嬉しいサプライズだった。

大阪の3ピースロックバンド、ユビキタスにとって、2017年は始動以来の受難の年だった。飛躍を誓った矢先にヒロキ(Dr.)の無期限休養と脱退があり、年始に思い描いた彼らの展望は一度無に帰したともいえよう。それでもなお、ユビキタスは立ち止まりはしなかった。周囲の助けを借りながら、時には地を這うようにしてその歩みを進めた。だがどうしても、鳴らされる音に物足りなさが巣食うのは避けようがなかった。明確な、音楽的な意味においての、例えばサポートメンバーのドラミングがユビキタスと合っていなかったとか、そういった類の物足りなさではなく、もっと感覚的で、言ってしまえば感情的な部分での物足りなさ。ヒロキの不在は、ただのドラマーの不在ではなく、三角形の頂点をひとつ失うような、辺をひとつ消されてしまうような、彼らを知る人にしか分かり得ない大きな損失だった。
しかし、その日その場にいた多くの人にとって、そして誰より、1ファンとしての私にとって、その物足りなさが輪郭を持ったのはユビキタスの音がフロアを満たしたあの瞬間だった。

照明が落ち、ガヤガヤとした騒めきが引く。ヤスキ(Vo./Gt.)、ニケ(Ba.)に続いてステージに上がったヒロキの姿に、フロアから悲鳴が上がった。9ヶ月ぶりにヒロキが、ヤスキとニケの後ろに座った。それは見慣れていた光景だった。聴き慣れていた音だった。「あの世とこの世」で始まった彼らのステージは、ヒロキが叩くということもあってのことではあるが、最新作「変わりゆく世界」からの披露はなく、「透明人間」、「パラレルワード」など、3人だった頃の懐かしい曲ばかりで構成されていた。ヤスキのまっすぐに射抜くような歌声と、跳ねるようなギターリフ、ニケの鋭さと重さの合わさったベースライン、そして彼らを支えるだけの力強さのあるヒロキのドラミング。ヒロキがまだ本調子ではないとはいえ、ステージから投げかけられた音は、確かに、「ユビキタスの音」だった。
9ヶ月ぶりのステージとなったヒロキの表情は、かつてのようにコロコロと変わりながら、それでもその場にいるよろこびが滲んでいた。そしてヤスキもニケも、ここ最近では見なかったほどにいきいきと楽しそうに歌い、奏でた。3人の姿は長期間ブランクがあったとは思えないほど自然で、だからこそ、ヒロキが不在だった間、知らず識らずのうちに物足りなさを覚えていたことに気付かされた。声に出して探さずとも求めていたのは、他でもないこの3人の音であり姿だったのだと。

終演後、ヤスキは「今日までしんどかったー!」と安堵の笑顔とともに言った。折れそうになりながらも強くあろうとしたフロントマンにとって、2017年は長く、苦しい日々の連続だっただろう。「ほんま、エモいわあ。」と「今年ほんましんどかったわ。」を何度も交互に繰り返しながら、それでも彼は笑っていた。「今日が一番バンドやってる!って感じした!」と嬉しそうに、それでいてほっとしたように、笑っていた。

 

バンドにとって、辞めるという選択肢が正解であるときもあるだろう。美しい終焉も目にしてきた。だが一方で、続ける余地がある限り続けるというのも、人間らしくて泥臭くて、だからこその格好良さがある。どちらかと言えばユビキタスは、後者の方がよく似合う。まだヒロキはサポートとしての参加ではあるが、そこに鳴るのが紛うことなきユビキタスの音であるように、ユビキタスはどんな形であっても3人で音を重ねて放つだろう。いつだったかニケが言った通り、いつか来る最後の日の最後の瞬間まで。

感情は計算の外側で -17/12/08 PRIMAL CURVE 『#言葉は死角か視覚化可能か?』TOUR FINAL ONE MAN-

それはある一つの終わりであり、同時に、まだ見ぬ第2章の扉絵を飾るにふさわしい一夜だった。

 

2017年12月8日、大阪RUIDO。シングル「ReleaseMe?」のリリースツアー、「#言葉は死角か視覚化可能か?」のファイナルであり、PRIMAL CURVEの1年5ヶ月ぶりのワンマン公演。そして、Dr. 畑のPRIMAL CURVEとしてのラストライヴでもあった。彼の脱退後のバンドの活動に関しては未だ確定していない。続くとも続かないとも明言していないが故に、昨晩のワンマンは言わば一つの終焉だったわけである。
それを意識させないように、あるいは意識しないように、あくまでもいつも通りでライヴは進んでいったのだが、彼らの言葉の端々や、一つ一つの仕草、表情、セットリストの構成にはこれまでの、前身バンドも含めた7年間の思いが織り込まれているように思われた。2時間という時間の中で、一瞬の空気に、過去に対する餞別のような光が走るたびに、いつにも増して綺麗に重ね合わされた4人の音は深みを増し、鮮やかに色濃くフロアを満たした。

「アンテナ」や「ベクトル」、「タンジェント」といった熱量の高いロックチューンを次々と投下し、彼らが描いてきたロックを結晶化させたようなステージを見せたかと思えば、「Lyla」や「U&I」のようなバラード〜ミドルバラードを並べて、彼らの世界へぐっと引き込み、終盤では「24/7」、「Ray」、「C.O.C.」で最後まで燃え尽きるような、燃やし尽くすような演奏を披露した。この計算されたような構成はあざとくもあるが、同時に全体の流れや、歌われる言葉と込められた想いやメッセージを大事にする彼ららしいとも言えるだろう。最後の曲に「ハローグッバイ」を据えたことで、見事に、決定的に、この日のライヴは完成された。ただし、アンコールは別として。

この日、アンコールで彼らが演奏したのは「泡になって消えても」。最後まで残しておいたのではない。本編ですでに披露しているのだから。アンコールでさえ、フロアからのあの切実な手拍子がなければ、あるいは途中で諦めてしまって鳴り止んでいれば、彼らは再びステージには上がらなかっただろう。
3年近く前のある時、Vo.笠井は「30分なら30分、どんなに記念の日でも持ち時間で出しきるのがバンドでしょ?」とこぼした。2回目の「泡になって消えても」は彼のその信念がまさしく体現されたアンコールの1曲だった。歌詞を直接書いていないからこそ、それを誰よりも大事にしている彼の、「もう一度この曲をここで歌いたい」という意思と共に4人で最後に鳴らされた1曲は、完成された本編を超えてエモーショナルに響いていた。

 

PRIMAL CURVEはどこか冷静沈着で、落ち着いた印象を与えるバンドだ。しかし4人それぞれの持つ顔は達観しているわけでもなければ、何かに対して冷めているわけでもない。4者4様の自由で躍動的で鮮烈な音と歌がそれを証明している。この日も、確かに彼らは4人で作り上げる最後の一夜を美しくロジカルに組み立てたが、それは決してすべての終焉を思わせるような、綺麗にまとめられたものではなかった。これまでの自分たちに対する一つのけじめ。異なる道を歩みだすメンバーに対する餞別。区切りとなるライヴには違いなかったが、そこには未来があった。本を閉じるようなライヴではなく、ページをめくるような、あるいは次の章の伏線にもなるような、そういう、途中の終わり。この先もきっとまたこのバンドは進み続けてくれると確信できるような、晴れやかなライヴだった。
誠実かつひたむきに、勝てなくても決して負けないように、時間と音を重ね紡いでいく彼らは、少し立ち止まって、きっとまたすぐに戻ってくるだろう。形も何もまだ決まっていないとは言うが、少なくともそこに湛える光は、いまのPRIMAL CURVEが持つものときっと変わらないはずだ。