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海の星座

光を射す言葉を。

始まりの季節 -LINO GRAPHが呼び起こす春風-

4月になり、もう半月が過ぎた。のんびり屋だった今年の桜もいよいよ散り始めている。

ベタなことを言うようだが、春は始まりの季節だ。今回はそんな爽やかな季節にぴったりのバンドを紹介したい。

 

大阪に、LINO GRAPH(リノグラフ)という、音在輝志(Vo./Gt)、木村太一(Gt.)、堺沙彩(Ba.)、下村茉李(Dr.)からなる4ピースバンドがいる。

昨年12月に、それまでサポートメンバーであった木村を正式メンバーとして迎え入れ、同時にバンド名も「アンジー」から改名した。そう聞けば、アンジーなら知ってると思い当たる人は多いかもしれない。そう、彼らの音楽がまさに、春の儚さと晴れやかさに誂えたように似合うのだ。春の足音が聞こえ始める3月中旬、大阪・福島2nd LINEにて彼らのライヴを観た時、以前から抱いていたその感覚は確信となった。

彼らが奏でるのは決してテクニカルで完成された音楽ではなく、どちらかといえばまだ若い、粗削りな演奏と言えるだろう。MCもまだ拙さと頼りなさが漂う。しかしそれをカバーして余りあるほどの多幸感が彼らのライヴには溢れている。ライヴにおいて圧倒的な多幸感を放つバンドというのはいくつかあるが、例えば、サイダーのようにしゅわしゅわ、きらきらした幸せを空気いっぱいに満たすかのようなのがCzecho No Republic、ささやかな幸せを大きく謳い、心にそっとあたたかな火を灯してくれるようなのがラックライフ、と言えば伝わるだろうか。LINO GRAPHの持つ幸福感はちょうどそのふたつの真ん中あたりに位置する。柔らかな花びらと煌めくホログラムをいっぱいにはらんだ風が爽やかに吹き抜けるイメージ、瞬間的でありながらも確かな手触りのある幸福感である。歌詞がそう感じさせるのかもしれないし、メロディーラインの持つポップネスがそんなイメージを膨らませさせるのかもしれない。しかしその幸せの感覚というのは、何よりも先に、音在のあどけなさの残る優しい歌声によるものであり、木村の細やかなギターの旋律からくるものであり、堺のたおやかなベースラインから生まれるもので、下村の楽しげで溌剌としたリズムによって裏打ちされるものである。トゲのない4人の純真で無邪気な音の重なりは、丁寧に作られたパイのように軽やかで、掴めない「幸せ」という感覚を壊さぬようにふわりと包んでいる。

今歯がゆさの残る技術面に関してはこれからライヴを重ね、演奏を重ねていくごとにいくらでも伸びるだろう。しかし、人を幸せで満たす音楽というのは、幸せな空気で包み込んでしまう演奏というのはなかなか会得できるものではない。それを既に手の内に入れようという彼らなのだから、演奏力や表現力がさらに増せば、それに伴って彼らが放つ幸福感もはっきりと強さを増し、包みこめる世界も広がっていくはずだ。

 

例えばなんら変わり映えのしない春を迎えていても、彼らの音を聴くだけできっと、なんだか新しいことを始めたいような、なんでも上手くいきそうな、そんな軽やかな心持ちになるだろう。まだまだこれから、だからこそ、今から見つめていたい、そう思える人懐っこいバンドだ。

 

最果ての先 -17/03/12 ユビキタス LIVE TOUR 2016-2017 『カルテット』 FINAL-

この日、ユビキタスの第1章が終わった。そんな風に思えるライヴだった。

 

青白い光に包まれた渋谷WWWのステージに、ヒロキ(Dr.)の姿はなかった。完全な三角形ではない形でのライヴで、第1章が終わったなんて、そんな言葉は似合わないかもしれない。彼らは不服とするかもしれない。それでも、そう感じさせたのだ。このツアーは彼らを大きく変えた。最後の最後に音楽の女神がいたずらをしかけたかのような壁に阻まれ、それでもなんとか走りきった。ヒロキが帰ってくるまで、その壁を越えたことにはならないだろう。だとしても、このツアーは彼らにとって、一つの集大成となったように思われる。

 

ヤスキ(Vo./Gt)の歌声が、しんと静まったフロアを裂いた。まっすぐに心に突き刺さるようなその鋭さと透明感は、彼がシンガーとして、ヴォーカリストとして、そして表現者として力をつける中で、さらに強くなり続けている。その第一声で空気が変わる。その伸びやかで力強い歌声で、耳も目も心も、ステージに惹きつけられ、釘付けになる。何度その声を耳にしても、何度その瞬間を味わおうとも、決して慣れることはない。その場にいる全員を飲み込んでしまう空間を彼は一瞬で作ってしまうようになった。

「ジレンマ」、「君の居場所」、「R」と最新アルバム「ジレンマとカタルシス」から新曲の数々をドロップしながらも、彼らの楽曲の中では一番古い名曲「僕の証明」、鋭くも重いニケのベースが光る「アマノジャク」、軽やかで煌めくような「パラレルワード」と過去の作品も見事なバランスで織り交ぜ、最近の曲を知らなかろうが、昔の曲を知らなかろうが関係なく、その場にいるすべてのファンを巻き込んでいった。シリアスに胸を突くような鋭い言葉を並べたかと思えば、心にじわりと流れ込むような暖かいバラードを聴かせ、さらには心が浮き立つようなハッピーな音を降らせる。ジェットコースターのようにめまぐるしい選曲に、フロアの熱はとどまるところを知らずただ上がり続ける。急遽サポートが決まった2人のドラマーも、たった2、3日でそこまでと思うほどの、2人との完成度の高いユニゾンを見せ、演奏面において言えば、このバンドのドラマーの不在を少しも感じさせはしなかった。ユビキタスの4年をダイジェストにしたかのようなそのセットリストは、もしかすると、ヒロキがいればもっと違ったものになっていたかもしれない。しかし、この、新旧を色とりどりに混ぜ込んだセットリストだったからこそ、ツアーファイナルを飾るにふさわしいものになったと言える。

ライヴ終盤、MCはやはりヒロキの話題となった。「湿っぽくしたくなかったから」と笑いながらも、やっぱり3人で立ちたかったと、ヤスキもニケも言葉を詰まらせた。そして、誰よりもヒロキが悔しいはずだと、涙を浮かべながら、想いを一つずつ言葉にした。振り返れば、3人でステージに登らなかったことはなかった。風邪をひいても、体調が悪くても、ちゃんとその日になれば、彼らは光射すステージの上にいた。それがまさかツアーファイナルなんて、ワンマンなんて、そんな大きなステージで叶わないなど、本当に誰も思いつかなかったはずだ。時々自分自身を茶化しながらも、悔しさを隠しきれずに涙をあふれさせるヤスキとニケの姿は、胸が痛くなるほどに切なかった。「次は絶対ヒロキも連れてくるから」と歯をくいしばるようにしながらこぼした言葉には、絶対という言葉を裏付けるような意思の強さと、バンドを想い、メンバーを想う切実な愛情を感じた。この結束力の強い、3人の正三角形はプリズムのように光を取り込んで、七色に変えて放つのだと、皮肉にも一人不在の中で思い知らされたのだ。

 

そして、本編最後の曲「カタルシス」。すべてを包みこむような大きさと、光を降らせるような開放感のある演奏は、この日を、そしてさらに言えば、このツアーを締めくくるにこれ以上ないほど素晴らしいものだった。曲の最後、《君の選ぶ道を/僕は認めてるよ》と、歌詞通りに歌うのではなく、マイクも通さずに叫んだヤスキの姿に、今のユビキタスの芯を見た。誰しもが、先の見えぬ道に迷い、ジレンマの中で自分を見失いそうにさえなる。そんな中で、欲しい言葉はただ、絶対的な肯定ではないだろうか。「君なら大丈夫、わかってる。」そんな風に彼らの音は心のすぐそばで鳴る。彼らの音楽は、紡ぎ出す言葉は、聴く者の心に寄り添い、ただ全力で肯定して背中を押してくれる。そんな音楽を鳴らしたいんだと願った彼らの心は、ちゃんと音に乗り、言葉に乗り、彼らを愛する人たちに届きはじめている。今少しずつ、形になろうとしているのだ。鳴らしたいものを見つけた今のユビキタスは強いと、2ヶ月前に書いた。それを丁寧に鳴らし続けたツアーの後半戦を経て、彼らの輝きはさらに強さを増している。眩しくもあたたかく、鮮烈でまっすぐな光を、音にして降らせている。

 

冒頭、私は彼らの第1章が終わったと書いた。しかしそれはただの区切りにすぎない。物語は途切れず、彼らの創り出す世界は続く。これまでの4年の上に、これからのユビキタスがある。3人の結束力と、彼らが手にした、ヤスキに言わせるところの「武器」である楽曲の数々、そして彼らが見つけた鳴らしたいと願うもの。これはそれが揃うための第1章だったのだ。それが揃った今、彼らは次のフェーズへ駆け上がろうとしている。

心を通わせ、心に寄り添う -17/01/29 ユビキタス LIVE TOUR 2016-2017『カルテット』ONEMAN SERIES-

ほんの一瞬、会場内のBGMの音量が上がった。フロアの照明が落ち、聴き馴染みのある入場SEが流れる。定刻を少し過ぎて、3人がいつも通りの自信ありげな笑みを見せて、ステージに現れた。

 

2枚のミニアルバムをひっさげたユビキタスのツアー「カルテット」のワンマンシリーズが、1月29日、大阪・心斎橋Music Club JANUSにて開幕した。この記事は、そんな一夜のショートレポートである。

 

今夜のライヴは、決して爆発力の大きなものではなかった。しかし、それは悪い意味で言うのではない。

これまでの彼らのライヴが、比較的「曲を聴かせる」ものだったのに対し、今ツアーでは「言葉を伝える」ことが大きな比重を占めていたように思う。もちろん、30分か2時間かという尺の長さが関係する点もあるだろうが、特に今夜のワンマン初日ではそれが著しく、ユビキタスの楽曲が持つ歌の力や、ヤスキ(Vo./Gt.)の紡ぎ出した言葉の力を強く意識したセットリストとなっていた。言い換えれば、一つひとつの楽曲がどんなサウンドを持ち、どんな構成で、どんなテンポで演奏されるかに関わらず、そこに描かれる世界や、込められた想いを、一人ひとりに手渡すように伝える。そんな、確かさのあるライヴだった。

「聴いてほしい」という願いではなく、「伝えたい」という強い意志は、そのまま言葉に乗り、一言ひと言にさらなる重みを加えて、人の心を打つ。決してそれはヴォーカリストだけでできることではない。3人の間に揺らぐことのない信頼関係があるからこそ、その上でちゃんと3人が曲に込められた想いを、感情を共有し、ユニゾンさせることができるからこそ、成り立つのだ。そんなことを、このステージで目の当たりにした。

 

昨年11月に開幕したツアーは各地のサーキットイベントを含め3月まで続く。ワンマンライヴも、2月18日(土)に名古屋CLUB ROCK'N'ROLL、3月12日(日)に渋谷WWWでの開催を控えている。

彼らがステージの上から、目の前にいる「あなた」に手渡してくれる想いや言葉は、あなたが一番欲しかったものとして心にすとんと落ちるはずだ。その感覚は彼らの音に触れた人にしかわからない。音楽が好きで、音楽を信じているのなら、あるいは信じたいと言うのならば、彼らのライヴに足を運んでみるべきだろう。

感情の解放 -ユビキタス "ジレンマとカタルシス"-

現在、LIVE TOUR 2016-2017『カルテット』と銘打ったツアーを敢行中のユビキタスから、4枚目のミニアルバム「ジレンマとカタルシス」が届いた。前作から約2ヶ月での発表となる今作は昨年11月にリリースされたミニアルバム、「孤独な夜とシンフォニー」の連作であり、対になる作品だという。ジャケットもまさにその通り、同じ構図でありながら、前作が夜を描いたものであったのに対し、今作は真昼の太陽が主人公の頭上に輝いている。

 

今作は全7曲を通して、かなり解放的な音作りが成されている。これまでの作品には必ず入っていたミドルテンポやバラードの曲がなく、1枚の中で緩急をつけるというよりは、クレッシェンド的にこのアルバムとしてのクライマックスに向かっていくようなものに仕上がっている。また、イントロから思わずクラップしたくなってしまう、ファンキーな「10」(M.03)や、T.Rexの「Get it on」を彷彿とさせるようなベースラインが光る「R」(M.06)のように、彼らの音楽性の幅広さを、これまでよりもごく自然に馴染んだ形で見せているし、それはこのバンドそのものがそれだけ大きな器を持つようになったことを示していると言えるだろう。

歌詞という面から見ても、《日々塗り替えてく/人生全て楽しむ/準備はできたか?》(M.03: 10)や《息を吸って 深く吐いて/明日からなんか上手くいきそうだよ/毎日思ってる》 (M.06: R)からも明らかなように、前作のみならず、今までの作品を全て超越するほどのポジティヴさを花開かせている。さらにほとんどの曲に「未来」「明日」という言葉がちりばめられ、サウンドとも相まって否応無しにこちらの気持ちも上向きになる。これが今の自分の全てだとヤスキは語る。だとしたら、今の彼はなんと爽快なまでに突き抜けているのか。今までの葛藤も悩みも苦さも全部ひっくるめて昇華し、《悩むのも そろそろ飽きてきた頃だな》(M.07: カタルシス)と、一種の開き直りを見せる。

 

前作では自身を見つめ直し、自身の抱える感情と真正面から向き合っていた。それがそのまま落とし込まれたアルバムであったために、それは内へ内へと潜り込んでいくような空気をまとっていた。しかし、今作はそれを経た上で今の自身の感情を素直に言語化した作品となっていて、逆に、外へ外へと思考や行動を広げていくイメージを備えている。この「ジレンマとカタルシス」は前作「孤独な夜とシンフォニー」に対する彼らなりの返答であるように思われる。

そして同時に、「ジレンマ」(M.01)から「カタルシス」(M.07)までの間でも、葛藤から解放へと向かう感情のグラデーションが明るいタッチで描かれている。しかしその明るさは、ポジティヴさは、聴く者の感情を置いてけぼりにはしない。いつも通り、彼らの音や言葉は、共感や賛同を求めるのではなく、そっと寄り添うように優しく響く。その優しさが胸にしみるのは、歌詞の端々に見られる鋭い言葉が心に刺さるのは、あくまで彼らが等身大で音を鳴らし、歌ってくれるからだろう。どれだけバンドのモードが変わり、作詞者であるヤスキのモードが変わろうとも、そのナチュラルさが変わらないのは今後も彼らにとって武器となるはずだ。

 

「ジレンマとカタルシス」を「葛藤と解放」とヤスキは訳す。しかし「カタルシス」は「精神の浄化」という意味を根底に持っている。抑圧された感情を、自身の中に鬱積する混沌とした葛藤を浄化して、その後に残ったものがこのアルバム「ジレンマとカタルシス」なのではないだろうか。このアルバムを作り上げたことで、本当に歌っていきたいことを、鳴らしたい音を見た今の彼らは、これまでで一番強く、輝いている。

謹賀新年

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

遅々として更新の進まない本ブログではございますが、お読みいただいてる皆さま、本当にありがとうございます。

 

今年こそはライターとしてちゃんとデビューしたいと、願望と少しの焦燥を抱いております。

 

(あとせめて定職を持ちたい)

 

2017年もこれまでと変わらず、音楽に、アーティストさん方に、誠意と愛を持って向き合っていく所存です。

駆け出しどころかたまご未満なライターではございますが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

皆様にとって良き1年となりますように。

ピアノロックの呪縛 -16/12/14 WEAVER presents Music Holiday Vol.1-

私がWEAVERに出会ったのは5年前、2011年のことだった。ギターの代わりにピアノを据えた3人組ロックバンドの姿は、音楽にのめり込んで間もない私にとって、前例のないカタチで音楽を追い求めるバンドとして煌いて見えた。ピアノによるメロディーは耳馴染みが良く、流麗で、可憐で、それでいて力強かった。Vo./Pf.杉本の指が鍵盤上を踊るように動き、Ba.奥野がメロディアスなベースラインを奏で、Dr.河邉が支えるだけでなく彩るようなドラミングを見せる……そんな三重奏は、本当に美しかった。

 

先日彼らはこれまで避けてきた対バンイベントを開催した。ゲストに迎えたのはレーベルメイトのLAMP IN TERREN、そして、今のロックシーンの第一線で活躍するBIGMAMA。前者はともかく、後者は接点なんてあったの?と一瞬頭をかすめるが、MCで金井政人(BIGMAMA)が言ったように、確かにピアノやバイオリンを加えた、新しい形のロックバンドとして常に戦っている。彼らが近づくのも当然と言えば当然か。

トップバッターのLAMP IN TERRENは、Vo./Gt.松本の魂を削るような歌声が空を裂き、なんばHatchという大きな会場をもまだ小さいと思わせるほどの存在感を見せた。

続くBIGMAMAはさすがと言うにふさわしいステージング。WEAVERファンに合わせたかのような、バラードを中心としたセットリストで、普段のBIGMAMAとは少し違うテイストを見せた。

そんな2バンドによって、オーディエンスの盛り上がりはすでに最高潮を迎えようとしていた。そして筆者に限って言えば、いつしか彼らのライヴから足が遠のき、これが約2年ぶりとなるWEAVERのライヴ。どんなものを見せてくれるのかと、期待半分、そわそわ半分であった。

 

3人がステージに立ち、赤、緑、青にそれぞれ光るスティックを掲げた。サンプリングパッドを使って打ち鳴らされる音はさざめきから、大きなうねりとなって、観客を飲み込んでいった。そこには4、5年前までの彼らはいなかった。サウンドの作り方、表現、見せ方、全てが同じバンドのものとは思えないほどに、大きく成長していた。控えめでスマートな、繊細なピアノロックバンド。それがかつてのWEAVERだった。それが今や、スマートさと繊細さをそのままにエレクトロサウンドを使いこなし、過去の曲をもダンスロックにアレンジしながら、自信たっぷりに笑う。たった2年で人はここまで変わるのか、バンドはここまで変わるのかと目を疑った。ステージに置かれたのはグランドピアノではなく、小さなキーボード。かつてWEAVERをWEAVERたらしめるほとんど唯一の武器であったピアノは、もちろん今でも彼らのコアではあるだろうが、今の彼らにとっては音楽表現の一つの手法に過ぎないのではないだろうか。ピアノの価値が下がったというのではなく、彼らの持つ音楽の表現方法が格段に増えたという意味で。知らないバンドが知っている曲を演奏している、と言ってもいいくらいに、彼らは変貌を遂げていた。

まるで呪縛が解けたかのような変貌だった。「唯一無二だ」と思わせるバンドへの進化。彼らが望む望まないに関わらず、「レーベルの弟分、優雅で美麗なピアノロックバンド」という目があった。それはいつしか彼らにとって殻のような、さらには呪縛のようなものになっていたのではないだろうか。しかし今の彼らにそんなしがらみは微塵も感じられなかった。レーベルメイトが増え、彼らが兄貴分にまで上がったからかもしれない。ロンドン留学で得た音の感覚が今徐々に結実しつつあるのかもしれない。理由はなんであれ、流れるような優美さを湛えるメロディーだけではなく、明滅するイルミネーションのような華やかさをその音に散らすことができるようになった彼らは、最初に出会ったあの頃よりも、ずっと美しく見えた。その美しさは花のように可憐なそれではなく、心の芯から光を放つような、自信に裏打ちされた、凛とした美しさだった。

 

今のWEAVERのワンマンを見たい。改めて筆者は強く思う。進化したと言えど、もちろんここで終わりはしない。だからこそこれからは見逃せない、見落としたくない。唯一だと言い切れる自信とバンドとしてのアイデンティティーを強固なものにしたら、どんなバンドにも負けないだろう。WEAVERを見るなら、今だ。

三者三様の音模様 -16/12/05 セクマシ∞飯室大吾の圧倒的な期・待・感!! vol.1-

12月の最初の月曜日、文字通り「圧倒的な期待感」を胸に心斎橋JANUSに足を踏み入れた。月初の週始めだというのにフロアはすでに満員が近い。ファン層はあまり重ならなさそうな3バンドだと思ったが、意外にそんなこともないのかもしれない。

この夜のアクトはココロオークション、Brian the Sun、そしてホストのセックスマシーンだ。セックスマシーンのVo.森田に言わせると「脳みそ真っ二つになっちゃう」くらいに毛色の違う3バンドだが、だからこそ大きな化学反応を起こせるのではないかとさらに期待が高まった。

 

1バンド目にはココロオークション。凛とした姿勢と、それがそのまま表れた音が魅力的な生粋の歌モノバンドである。結成から5年、関西イチゼロ世代最後の切り札と呼ばれながら、満を持して今年メジャーデビューとなった。そのメジャーデビューミニアルバムのリードを飾った「フライサイト」を筆頭に、新旧バランスよく取り揃えたセットリストで魅了した。3曲目に披露された、「星座線」は来年1月にリリースとなるメジャー2ndミニアルバム「CINEMA」のリード曲であるが、演奏面において、これまでのココロオークションのイメージとは異なる、スパイシーな一面を見せている。Ba.大野の深く鋭いテクニカルなベースラインが引き金となって、Vo.粟子の柔らかくも芯のある声がピリッとひきしまる。歌モノバンドといえば誤解されがちであるが、彼らはただ優しいだけでも、ただ美しいだけでもない。歌、言葉というものに込める気持ちは底なしに深く、そこに注ぐ情熱は、生半可なものではない。心を見透かすかのように、粟子はじっとオーディエンスひとりひとりの目を見つめる。何かを伝えようとする彼の姿は、ココロオークションというバンドの姿は、恐ろしいほどに清廉で、美麗だった。

 

続くのはBrian the Sun。彼らもまた今年メジャーに進出した関西出身バンドの一つだ。かねてよりそのビタースイートなサウンドや、時に飾らず、時に深い精神世界を見せる言葉の数々で音楽ファンをひきつけてきた。この日もデビューシングル「HEROES」や、「彼女はゼロフィリア」でアグレッシブに鳴らしてフロアをあたためたのちに、「Maybe」で緩やかに柔らかく歌い、「ロックンロールポップギャング」でとどめを刺した。ココロオークションが歌モノだと称されるならば、Brian the Sunは"王道"ギターロックだと言えるだろう。しかし当然、彼らが王道なんてものに甘んじるとは思えない。鋭く刺したかと思えば優しく歌い、甘やかに誘ったと思えば突き落とす。そんなサウンドの技巧が、ストレートな言葉たちが、Brian the Sunというバンドの魅力だ。恥ずかしながら、筆者はまだ彼らを知っているとは言い難い。知れば知るほど遠のくような、そんな届かなさを思わせるBrian the Sun、次に日本のロックシーンに革命を起こすのは、彼らの絶対的なバランス感覚の上に成り立つ音楽のような気がしてならない。

 

そして関西が誇るパンクロックバンド、セックスマシーン。そのバンド名と風貌からして、どう見てもコミックバンドなのだが、そして実際ネジのぶっ飛び方は確かにコミックバンドのそれなのだが、彼らはパンクロックバンドだと言っていいだろう。鼓膜が割れんばかりの大声で、森田が叫ぶ。何もかもがバカバカしくなってしまうくらい彼は真っ向から立ち向かってくる。自分のいるところがステージの一番前だ、と豪語し、どこまでも走って行ってステージの幅を広げてしまう。後ろの方でぼんやり立っていてもステージに乗っていることにさせられる。しかし多少無理矢理でも巻き込んだもん勝ちだ。傍観に徹したところで、彼は意に介さない。そして不思議なことに、気づいたら彼に合わせてシンガロングしている。言葉や音で惹き付けるタイプのバンドではない。「気づいたら飲み込まれている」のだ。一度味わってしまえば、また行きたくなる。セックスマシーンはそんな不可思議なバンドだ。有り余るほどに情熱的で、どんな空気もものともしない逞しさ。そんな泥臭さは敬遠されがちだが、こんなにも、格好いいのだ。

 

どんなしっちゃかめっちゃかなイベントになるかと思ったら、3バンドがそれぞれ己の良さを正面からぶつけ合った結果、かなり色濃くハイカロリーな一夜となった。やはり化学変化は面白い。共通点の少なそうなバンド同士にしか生み出せないものが見られるのは、こういうイベントくらいなものだろう。